競馬②―ファンたちが読み取る競走馬の「ストーリー」
前回に引き続き、今回も競馬を取り上げます。日本中央競馬会(JRA)は全国に10か所の競馬場を有しており、大きなレースが行われる際には各競馬場に何万人もの人々が訪れます。昨年は、新型コロナウィルスの影響で長いこと無観客レースが続きましたが、牡馬牝馬ともに無敗の三冠馬が誕生したり、史上初のGⅠ9勝馬が誕生したりと、競馬界にとって記憶に残る一年となりました。
競馬が多くの人を惹きつけている理由は、ギャンブル的要素だけではありません。片山真は、競馬を「ストーリーの宝庫」だとし、競馬ファンによる「ストーリー」の共有によって競馬の楽しみが広がっていると指摘しています(「なぜ人は競馬にのめり込むのか」『ヒトと動物の関係学会誌』45号, 2016年)。今回は、競走馬をめぐる「ストーリー」について考えてみます。
まず一つ言えることは、人々に「ストーリー」が共有される馬は、ほぼスターホースに限られるということです。そして、競馬におけるスターホースとは、ごく一部の例外を除いて「極めて強い馬」を意味しています。弱い馬のほとんどは、前回述べたように、人々が認識できるような「ストーリー」を構築する前に引退となり、いずれ人知れず屠畜される運命が待っているからです。
日本の近代競馬が始まって以来、何頭ものスターホースが誕生してきました。競馬に関する文献をいくつか見てみると、戦後、各時代を代表する存在として次のような馬が挙げられています。例えば、地方競馬で全勝して中央競馬に乗り込み、「東京都ハイセイコー様」でファンレターが厩舎に届くほど人気を集めたハイセイコー、同じく地方競馬出身で、一時期成績が低迷したものの引退レースの有馬記念で大復活を遂げたオグリキャップ、新馬戦から無敗の三冠馬としてエリート路線を歩み、フランスの凱旋門賞に挑んだディープインパクトなどです。これらの馬に共通しているのは、飛び抜けて優秀な成績を収めていた点です。優秀であったがために、地方から中央へ、日本から世界へと大きな挑戦をすることができ、その飛躍が人々に共有される魅力的な「ストーリー」の要素となっていったと考えられます。
一方で、「極めて強い馬」でなくともスターとなった馬がいます。先ほど、ごく一部の例外と述べましたが、それがハルウララという競走馬です。ハルウララは、2000年代前半に一躍有名になった高知競馬所属の牝馬です。デビューから一度も勝つことができず、生涯成績は113戦0勝でした。負け続けてもなお走り続ける健気な姿が話題となり、中央競馬のトップジョッキー武豊騎手が騎乗したときには、高知競馬場の入場者数は1万3000人と過去最多を記録しました。ブームはとどまるところを知らず、当時の小泉純一郎首相がハルウララについてコメントしたり、アメリカで短編ドキュメンタリー映画が製作されたりもしました。
地方競馬で負け続けたハルウララの「ストーリー」は、ある意味、あまり輝かしいものではありません。地方から中央競馬へ乗り込み中央のエリートたちを倒したハイセイコーやオグリキャップ、あるいは海外の一流レースで日本人の夢を乗せて走ったディープインパクトなど、ヒーローとしての「ストーリー」を持つ馬たちとは全く異なります。
当時の人々は、ハルウララを「負け組の星」として応援していたといわれています。それは、ヒーローの快進撃に夢を見るのではなく、馬に自分自身を投影する見方です。類まれな能力を持つ馬に夢や希望を託し、輝かしい「ストーリー」を追っていた競走馬への見方とは違い、自分との類似点を見出して、ただ一勝することだけを応援する、新たな見方が掘り出されたといえるでしょう。それは少々陰鬱で、消極的な競走馬観かもしれませんが、ハルウララへの注目は、英雄主義だけではない人々の競走馬観が読み取れたエポックメイキング的な出来事であったと評価できるでしょう。