動物見世物と動物観
前回に引き続き、今回も人々の娯楽の対象となった江戸時代の動物について紹介します。今回のテーマは、動物見世物です。見世物といえば、今となってはアングラでマニアック、さらに少々グロテスクで近寄りがたいものと思われがちですが、江戸時代の見世物はもっとメジャーな存在で、興行の種類も幅広いものでした。江戸の両国、京の四条河原、大坂の難波新地などの盛り場で興行が行われ、多くの庶民が押し寄せました。動物の見世物は、軽業や曲芸、細工物などと並んで人気のある見世物の一つでした。
動物の見世物は、大きく二つの種類に分けられます。一つは、芸をする動物です。イヌやサルの軽業やネコの芝居など、すでに馴染みのある動物に芸をさせて見世物にしていました。もう一つは、珍奇な動物です。市井の人々が普段見ることはできない、外国の動物やいわゆる奇形の動物などが見世物として扱われていました。それらの動物は必ずしも芸をする必要はなく、珍しさそのものが見世物としての価値となったのです。
ここで、有名な動物見世物の例を取り上げてみます。文政4(1821)年、アラビア産のヒトコブラクダが牡・牝1頭ずつ、オランダ船によって長崎港に持ち込まれました。当初は将軍への献上を目的としていたそうですが、結局それは叶わず、興行者の手に渡って日本各地で見世物にされました。川添裕によれば、このラクダの見世物興行は大坂や京、江戸で催されたほか、10年以上を費やして伊勢や徳島、水海道、津山など全国30カ所以上をまわったそうです(川添裕『江戸の見世物』 2000年)。アラビアから日本に渡り数奇な運命を辿ったラクダは、旅や移動が制限されていた当時の庶民よりも、ずっと多くの景色を見ることができたといえます。
ラクダを見た人々はどのような反応を示したのでしょう。下の図は、『和合駱駝之世界』(1825年刊、江南亭唐立作・歌川国安画)に描かれたラクダ見物の人々の様子です。この作品はラクダの見世物をもとにしたフィクションではありますが、当時いかにそれが群集を引きつけたのかをよく描いています。図を見ると、見開きのページいっぱいに、ラクダの見世物小屋へ向かう老若男女が押し合いへし合いしている様子が表されています。この混雑ぶりや、小屋に向かう人々の表情からは、一目ラクダという生き物を見てみたいと思う当時の人々の好奇心が伝わってきます。
さらに舶来の動物は、見るだけでご利益がある霊獣とも捉えられていました。ラクダの場合、尿は霊薬となり、つがいの姿は「夫婦和合」をもたらし、見世物絵は疱瘡除けの効能があるとされました。異国の自然や文化に対する知識が今よりずっと乏しい時代でしたから、舶来動物の存在そのものが人々に与えたインパクトは今と比べると計り知れません。その珍しさゆえに、神聖性が付与されたとしても頷けます。
現代に生きるわれわれが、外国の動物に対して当時の人々と同じような感情を持つことは難しいでしょう。動物園に行けば世界各地に生息する動物を容易に見ることができ、最近の図鑑には野生動物の捕食シーンなど決定的瞬間をとらえた写真が載っているものもあります。新種が発見されれば、瞬く間にインターネットで写真付きのニュースが発信されます。直接見たことはなくても、その姿かたちや分類、生息地などはメディアを通して詳細に把握できてしまいます。「噂が噂を呼んで話題となったあの謎の生き物を、一度この目で見てみたい」という期待、見たこともない大きな動物を目の前にした衝撃や興奮、畏怖の感情は、現代人にはなかなか共有し難いものです。人々の動物に対する考えや態度、価値観を「動物観」といいますが、この動物見世物からは、異なる時代の動物観を理解する難しさを感じさせられます。