せとうち観光専門職短期大学

観光Web講義


平 侑子

サーカス―動物離れが進む興行

 今回のテーマはサーカスです。動物の芸、たとえば曲馬やライオンの火の輪くぐり、クマの玉乗りなどは、サーカスには欠かせない演目の一つとされてきました。今回は、サーカスで活躍する動物に対する考え方や、それらの動物を取り巻く状況の変化について紹介します。

 江戸時代、日本では馬の曲乗りの見世物はあったものの、サーカスのような猛獣の芸は行われていませんでした。日本で初めて猛獣の芸を披露したのは、明治19(1886)年に来日したイタリアの「チャリネ大曲馬」と言われています。これは南米やアジア諸国など世界中を巡業していたサーカス団で、ゾウ、トラ、ライオンの演芸を種目としていました(下図)。

『世界第一チャリ子大曲馬之図』」(楊洲周延画、1886年) (出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

 「チャリネ大曲馬」はまず横浜で興行を行い、続いて東京、大阪、神戸などの各都市をまわりました。明治19年といえば上野動物園が開園してわずか4年の頃なので、当時の日本人にとっては猛獣を目にすることだけでも珍しい経験だったはずです。それが見事な芸を披露するのですから、多くの人々を驚かせたのは想像に難くありません。

 昭和8(1933)年にはドイツのハーゲンベック・サーカスが来日しました。このサーカス団は「地上最大のサーカス」と言われ、ゾウ5頭、トラ12頭、ライオン10頭、ホッキョクグマ10頭、サイ1頭、馬32頭、ラクダ6頭など計180頭と、桁外れの頭数を連れてきました。これら外国のサーカスの影響を受けて、日本でも猛獣の芸を取り入れたサーカス団がいくつも生まれました。

 しかし近年、世界中のサーカスで動物の使用が廃止される傾向にあります。アメリカでは、1871年に始まった歴史あるサーカス団「バーナム・アンド・ベイリー・サーカス」が2017年に廃業しました。経営悪化が廃業の主な原因ですが、動物保護団体からの批判が強まり動物の芸を演目から外したことがその背景にあったと報じられています。実際、アメリカではニュージャージー州やカリフォルニア州など、サーカスでの野生動物の使用を禁止する州が出てきています。イギリスではすでに、2020年をもって巡業サーカスでの野生動物の使用を全面的に禁止する法案が発表されました。ドイツでは、「サーカス・ロンカッリ」というサーカス団が、2018年、実際の動物を出演させない代わりにホログラムで舞台に動物を映し出す試みをして話題となりました。思い返せば、新しい形式のサーカスとして脚光を浴びた「シルク・ドゥ・ソレイユ」には、芸をする動物は一切登場していません。このように、世界中のサーカスで「動物離れ」が加速しています。

 サーカスにおいて動物の芸が行われなくなっているのには、動物の飼育と移動にかかるコストの問題はもとより、「動物の権利」(Animal Rights)の視点が大きく関わっています。「動物の権利」とは、動物を人間と対等な権利を持つ存在であるとする考え方です。この考え方は人間が動物を所有し搾取することを認めず、サーカスのように動物に芸を教え込んで興行に使用することに反対する立場をとります。「動物の権利」論に従えば、畜産にも反対、医薬品や化粧品等の安全性を調べる動物実験にも反対、動物を囲い込んで衆目に晒す動物園の存在自体にも反対ということになります。実際に、この考えに基づいた社会運動は世界中で見受けられます。サーカスの動物離れは、「動物の権利」論とそれに伴う運動が結実した、あるいは浸透した結果であると解釈できるでしょう。

 本来人々はサーカスで、舞台に並ぶ大型動物に圧倒され、動物の調教の見事さに感心し、猛獣使いの勇ましさに感動していたはずです。少なくともサーカス側はそれを狙いとしていました。しかし、「動物の権利」という概念が浸透するにつれ、その言葉自体を知らずとも、われわれは動物の境遇に対して疑念を感じたり、心の片隅に罪悪感を覚えたりするようになります。すると、動物を見て驚きたい、動物の芸が作り出す非日常空間を味わいたいという気持ちと、芸をする動物に対するうしろめたさとのせめぎあいが生じます。前述した動物をホログラムで出演させる方法などは、このような人間側の葛藤を具現化し、折衷したかのような興味深い一例といえます。

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