四国遍路の「お接待」・伊勢参宮の「お蔭参り」と「もてなし」
今回は、「お接待」・「お蔭参り」と「もてなし」について考えてみます。
前田卓は、昭和46(1971)年に『巡礼の社会学』を著し、西国三十三カ所巡礼と四国遍路八十八カ所を様々な観点から比較しました。その最終章で「接待」に関して考察しています。一般的に「接待」とは「客をもてなす」ことですが、接待の起源は、布施の1つである門茶を意味する「摂待」であり、歴史的にも江戸時代の古文書では、ほとんど「摂待」が使われているとあります。遍路に対する接待の動機に関しては、①難行苦行する遍路たちに対する同情心、②大師信仰、③先祖の冥福、④遍路にでるかわりに接待をして善根をつむ。また接待の種類は、①個人接待、②霊場近くの住人による集団での接待、③四国以外の人々の接待講、と説明されます。その他、明治の終わり頃までは、接待の恩返しのために道標を立てたり、床屋や髪結いが出張してお遍路さんの髪をまとめたり、旅の疲れをとるための按摩(アンマ)などの接待もあったと記されています。
辰濃和男は、自らの遍路体験を「いただく」・「ほどこす」・「出会う」などの短いキーワード用い、『四国遍路』(平成13(2001)年)を綴っています。こうした、いただく・ほどこすの言葉のように、お接待は、施与により自分も功徳を得たいという気持ちや、お遍路さんの結願を願う気持ちが重なりあうことだとしています。そのお接待が本来の光を放つのは、「他を利せんとするこころ」でお接待を受けた者が「その大切なこころを受け止めること」だと説明します。
ところが、今では歩き遍路をする人は少なくなり、お遍路ツアーバス、タクシー、自家用車、バイク、自転車等での遍路が一般的で、歩き遍路との関わりを持つことも難しくなっているようです。子ども時代に、歩き遍路さんが通る道沿いに住んでいたという高松在住Tさんへのヒアリングでは、今ではあちらも車、こちらも車で、住んでいる地域での普段の生活で、かつてのように対面でのお接待の機会はほとんどなくなったとのことでした。一方で、外国人の歩き遍路も見られますが、その目的も様々であり、関係する宿や接待所、店などに携わっている人でない限り、「接待」できる歩き遍路さんに頻繁に出会う機会は難しいと思われます。
そうした一方で、心を介した遍路文化として融合的な位置づけを図り、今後も見据え、四国全体での世界遺産登録を目指すなど、「お接待文化」への持続的な取り組みも行われています。四国遍路の「お接待」に関し、平成28年3月の四国圏広域地方計画(国土交通省)では、次のように説明されます。「四国八十八箇所霊場を巡拝するお遍路さんは、「弘法大師と同じ」と扱われ、地元の人々が、お遍路さんに食べ物や飲み物、宿などを無償で提供するなど善意による「お接待」の文化があり、(中略)国内外から多くの人が訪れ、「おもてなしの心」による癒しを体感している」、また「圏域内外から訪れたお遍路さんへの「お接待」をきっかけとした情報交換、信仰心の充足等により「お接待」を施す者にとっても、精神的な癒やしの効果をもたらしている」とあります。具体的なお遍路の癒やしや四国の文化を受け継ぐ「史国」伝統継承プロジェクトとして、「お接待文化に代表される四国圏の風土が持つ「癒やし」により精神的健康効果が体感できる、「メンタル・ヒーリング四国」の形成を目指す」ともあります。ただ癒し、癒されるだけでなく、その先への繋がりとして、共助社会に通ずる四国圏独自の歴史文化や地域の独自性を、次世代に引き継ぐこと、その魅力を発信することなどが記されています。(「 」引用内、癒し・癒やし表記は文面のママ)
次に、「御蔭様(おかげさま)」という言葉についてです。「御蔭様」は、人の好意や親切に対する感謝の気持ちや挨拶として現在でも使われますが、「御陰・御蔭」は、平安時代、室町時代からの使用例も見られます。「蔭」は、もともと神仏や父祖から加護や庇護を受ける意味とされています。
神宮(伊勢)への参拝は、「私幣禁断」でした。(天皇以外が幣帛(へいはく)を供えることを禁じた制度)それでも「一生に一度はお伊勢参り」を願う人々が代参の形をとり、江戸時代から「お蔭参り」や「ぬけ参り」という参拝が続きました。現在でいうツアーコンダクターとして、神職の代行から宿や食事の世話、送り迎えまでオールマイティで参拝者をもてなした「御師(おし・おんし)」の歴史も、明治時代初期まで存在しました。現在の内宮への参宮道には「おかげ横丁」という一角が存在し、中心広場には「神恩感謝」や「おかげさま」の幟がはためいています。
伊勢参宮での「お蔭参り」は、次の3つほどの意味があったとされます。まず天照大御神のおかげ、代参してくれる人のおかげ、途中出会う人々のおかげ、だからこそ参宮を果すことができるという感謝が込められています。ここでも、人との出会いが重要な役割を持ちます。歩いて伊勢参宮をした江戸時代とは違い、今では他府県から歩いての神宮参拝は、ほとんど見当たらないと言ってよいでしょう。しかし、現代でも何かの機会で、遍路や参拝の当事者と途中で関わることで「関係性」が生まれ、何らかのもてなしをすることもあります。深く意図せずとも、その土地ならではの宗教性を帯びた関わりとしても意味も持ちます。こうした神聖さや宗教性も、清々しさや癒しとつながり、互いの共感を呼ぶこととなるのでしょう。
筆者はかつて、伊勢の神職さんから「一見きれいと思っても、毎日掃き清めることが大切」と教わりました。また四国では、来訪者(巡礼者)に安全・安心・快適に遍路していただくために、日頃の遍路道の整備・保全活動や、ボランティアネットワークによる清掃活動も行われています。寺社では特にこうした日頃の持続的な取り組みの中で、神仏はもちろん、来訪者(巡礼者)・受け入れ側双方の感謝とその受け入れという呼応が自然に行われています。長い歴史を経て、言挙げしないもてなしが引き継がれていくことでしょう。