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観光Web講義


谷崎 友紀

こんぴらさんの門前町

 今回は、こんぴらさんの門前町について取り上げたいと思います。門前町とは、有力な寺社の境内・門前に発達していった町並みを指します。善光寺のある長野、伊勢神宮のある宇治山田などが有名です。琴平でも、こんぴらさんのお膝元として門前町が形成されました。門前町の形態は場所によってさまざまですが、藤本利治(1970)『門前町』によると、寺社と集落の関係は第1図のように分類できます。

第1図 集落と寺社の位置関係
藤本(1970)より筆者作成

 A型は、両者が近接している場合、すなわち門前に町が形成されている場合です。対して、B型は両者が分離している場合を指します。B型は、滋賀県の延暦寺と坂本の町のように、山岳信仰の宗教に多く、参詣者のための先達が山麓に住むことによって、そこに宿坊や堂塔が建って門前町をなしたといわれています。富士山の浅間神社の場合も、各所にある富士山への登山口に御師町が形成されていました。琴平も、宗教施設は象頭山に位置しており、その麓に門前町が広がっているため、このB型に分類されると考えられます。

 このような寺社と町屋の位置関係にもよりますが、一般的には、門前町は街村をなし、街路への依存度が大きく、民家の集合度が高いといわれています(藤本(1970))。琴平の地形図をみてみると(第2図)、オレンジ色で示した部分が金毘羅大権現への参道であり、その両側に密集した建物が黒く表現されており、町が形成されていることがわかります。

第2図 こんぴらさんの門前町
『町史ことひら』『金毘羅庶民信仰資料集』より筆者作成
町名は、『明治・大正日本都市地図集成』を参考とした。

 琴平の門前町に関する歴史を少し紐解くと、天正13(1585)年の時点で、当時豊臣秀吉によって讃岐国に所領を与えられていた大名・仙石秀久が、「金毘羅寺内と門前あたり」の土地からの年貢を寄進した記録が残っています。このことから、この時点でこんぴらさんの境内とその門前に耕作地があり、それを耕す農民が住んでいて税が課せられていたことがわかります(琴平町史編纂委員会『町史ことひら』、1998)。

  過去の門前町の様子がさらによくわかるのは、元禄16(1703)年に描かれた「金毘羅祭礼図屏風」です。デジタル資料としての公開はされていないため、ここに載せることはできません。もし関心を持たれた方は、『金毘羅庶民信仰集成』第1・2巻などをご覧いただければと思います。その『金毘羅庶民信仰集成』(日本観光文化研究所編、1982)と『町史ことひら』を参考に、屏風絵に描かれたこんぴらさんの門前町の様子を少し紹介します。実際の図がないのでわかりにくいかと思いますが、第2図をあわせて参照してください。 この屏風絵は、10月10日の大祭の様子を描いています。右隻に門前町、左隻に山内が配置されています。元禄年間(1641-1717)に狩野休円清信によって描かれたものだといわれています。

 屏風の右隻の右端にあたる東のほうから、左隻の山内(西)のほうへ向かってみていきたいと思います。右端のほうには、高松街道からつながる門前町の様子が描かれています。社領の入り口には木戸が設けられており、参詣者たちはそこを通過して門前町へ入ります。新町のあたりで丸亀街道が合流し、そのすぐ西側には石鳥居があります。新町には、さまざまな店が隙間なく軒を連ねていたようです。街道の北側には、宿屋、飯屋、うどん屋、魚屋、古着屋などが確認できるようです。金倉川に架かる鞘橋の下では、川で禊をおこなっている人々がいます。

 橋を渡った先にある内町には、宿屋が軒を連ねていました(『金毘羅庶民信仰集成』が記された昭和57(1982)年時点では、古い旅館が並んでいたようです)。内町の北側には、店が建ち並んでおり、『町史ことひら』によれば、それらの店は総菜屋、弓師、小間物屋、道具屋、桶屋、食べ物屋、うどん屋、宿屋、うどん屋、服屋、あめ屋と並んでいたようです。(ほかの門前町の業種と比較しなければ確たることは言えませんが、うどん屋が多い印象を受けます。)内町の南にある金山寺町では、相撲や芝居などが興行されている様子が描かれています。この時点では、常設の芝居小屋はまだ存在していません。

 『町史ことひら』にまとめられた金毘羅大芝居の年表によれば、寛文6(1666)年に初めて門前での芝居に関する記述がみえます。こののち、芝居・浄瑠璃・軽業・相撲などの興行が仮小屋を建てておこなわれていたようです。天保5(1834)年末に、町方より常設の芝居小屋を建てたいとの願いが寺社方に出されて許可がおり、翌年10月に完成しました。現存している「旧金毘羅大芝居(金丸座)」は昭和47(1972)年に移築復元されているため、江戸時代当時とは場所が異なります。復元された金丸座では、現在も琴平では毎年春に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開かれています(2020・2021年は、新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいました)。

 このように、元禄期の時点でこんぴらさんの門前町はとても賑わっていたことがわかります。ほかにも、江戸時代の琴平の様子を窺い知ることができる資料に、当時のガイドブックである『金毘羅参詣名所図会』や『讃岐国名勝図会』があります。これらの資料については、のちの回で詳しく取り上げたいと思います。

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