観光の大衆化と観光学の誕生
スタートの今回、観光学がどのように誕生したのかを振り返ってみます。
観光学は1970年代初め頃から次第に形成されてきました。ですから観光学の歴史はいまだ半世紀間ほどにすぎません。観光学はとても若い学問です。それ以前の1930年代頃にも、西ヨーロッパに観光学が形成されそうな兆しはありました。しかし、第二次世界大戦が起きたため、観光学への助走は途切れてしまいました。現在の観光学は、それ以前の研究成果をほとんど受け継いでおらず、新たにつくられて現在に至ったといえます。
観光学がつくられた契機は、観光の大衆化という社会現象の出現でした。観光の大衆化は、第二次大戦の戦禍から1950年代以降に経済復興した、いわゆる先進国の日米欧諸国にほぼ同時期に発生してきました。そして、観光学も大衆観光の出現した先進国でほぼ同時期に形成されはじめました。
先進国というのは第二次大戦後に著しい経済発展を遂げた国々であり、経済発展のできない“発展途上国”と対比されます。大戦後当時の先進国は、第二次大戦前に列強とよばれ、大戦時には連合国と枢軸国に分かれて戦争を惹き起こした張本人の国々です。
その先進国に生まれた大衆観光とは、ある社会の人口の大多数を占める大衆が、望むときにいつでも観光を楽しめるような社会状況から出現した現象です。大衆観光は英語で“mass tourism”といいます。日本観光学では「大衆観光」を“マス・ツーリズム”とよぶこともあります。「大衆」を表わす英語の“mass”はもともと「塊」を意味するので、大衆は個人の顔のみえない<大勢の人間の塊>といったイメージです。
そのような人間の大きな塊が観光に出かける状況が、「大衆観光」の出現です。大衆観光の生起する以前には、観光を楽しめるのは経済的に豊かな社会階層や自由に旅行のできる特権階級などに限られていました。ですから「大衆」と「観光」の2つの言葉が結びつく社会現象は、当時ではそれまでに考えられない、とても新奇な出来事だったのです。このように観光の大衆化は歴史的に画期的な出来事であるといえます。
実際、大衆観光は今や地球規模の巨大な社会現象です。国際観光客到着数は、1960年に年間7000万人でしたが、2018年には13億2,600万人となり、2030年には18億人に達すると予測されています。観光の経済的規模は、2017年に世界全体のGDP総額(79兆8000億米ドル)の10.4%(8兆3,000億米ドル)を占め、3億1,300万件の雇用(全雇用の9.9%)を生み出しています。こうして、観光は21世紀の基幹産業といわれています。
このように大衆観光は歴史上の画期的な出来事なのですが、それを研究する観光学は当初は学問として全く認められませんでした。観光という<浮ついた遊び>は研究対象として適正ではなく<観光研究なんぞは学問たりえない>というのが、観光学にたいする、学界を含む大方の見解でした。しかし、観光研究者はそうした観光学への揶揄に抗い、大衆観光を研究しました。その後、観光研究者は、大衆観光が世界中の地域社会に深刻な悪影響を及ぼすと、その状況を批判して、大衆観光の形態に代わる新たな観光形態の模索と実践に一役買うようになりました。これらの観光学にまつわる経緯については、次回にご紹介します。