せとうち観光専門職短期大学

観光Web講義


安村 克己

Web講義「観光学事始め」のスタートにあたって

これから「観光学事始め」という短いエッセイを,隔週で連載します。このエッセイでは,「観光学はどのような学問か?」,「観光学から観光の現実がどのように捉えられるのか?」といったテーマが取り上げられます。

 観光や観光学に興味のある方は,ぜひともご一読ください。また,関心がない方にも読んでくださると,そこに「観光」や「観光学」の意外な側面が浮かびあがるかもしれません。

 いまや観光は,経済的な豊かさを実現できた社会では<誰もが望めばできる>活動であり,それは日常生活に溶けこんだレジャー活動となっています。ですから,誰もが「観光」について知っていて,誰もが「観光」についての意見や感想をもっています。

 観光を体験すると,誰にも観光について語ることができます。とても多くの人が「観光の語り手」です。このような事情が一因となって,皆に一家言のある「観光」を,いまさら“まじめに”研究する必要があるのか,と感じられるかもしれません。つまり,あたりまえの現実である「観光」について、「なぜ,あえて観光学という研究が必要なのか?」という疑問がもたれるわけです。

 しかし「観光」の現実は,個人にも,個別社会にも,そして世界全体にも,大きな影響力をもつようになっています。そうした観光の影響力は,「正の効果」も「負の効果」ももたらします。しかも,世界中で年間13億人を超える観光客を生みだす観光の規模の劇的な拡大は,「観光」の正の経済効果を増大させるものの,同時に「負の効果」もとても深刻化させてしまいます。

 実際,いま日本中で観光の及ぼす影響が多くの人に身近となり,その影響力はおのずと明らかになっています。日本政府は2003年に「観光立国宣言」を発して,インバウンド観光の政策を推し進めてきました。その結果,インバウンド観光が急増しはじめて,日本では俄然「観光」が注目されるようになりました。そして,観光の経済効果が広く話題になると同時に,やがて観光公害やオーバーツーリズムの問題が喧伝されています。

 日本がいま直面する観光公害やオーバーツーリズムの問題は,「観光の大衆化」が1950年代後半から出現して1970年代になった頃に,インバウンド観光が盛んであった世界中の国々で深刻な問題となっていました。この「観光の大衆化」から生じた難題を研究する学問として,米欧の「観光学」が生まれたといっても過言ではありません。観光学には,その誕生の当初から「よりよい観光をつくる」という実践的な特徴がありました。

 1980年代末に「よりよい観光のあり方」を論じたある観光研究者は,「観光」が社会にあたえる影響力を“thin edge of the wedge”と暗示しました。くさびの鋭い先が丸太に突き刺さりそれを切り裂くように,<些細な事象が重大な出来事を惹き起こす>といったイメージなのでしょう。観光は,個人にとって誰もが「語り手」となりうる楽しい活動ですが,社会的には些末な現象とみられがちです。しかし,実は,先の観光研究者が示唆するとおり,観光は学術的な研究に値する,とても重大な社会的意味を有する事象とみなされます。

 実際,「よりよい観光のあり方」は,「持続可能な地域社会」を築く重要な手がかりのひとつと考えられるようになりました。いま「よりよい観光のあり方」は,「持続可能な観光」とよばれて世界中で注目されています。

 上述のような「観光」の現実と,それを捉える「観光学」という学の特徴について,「観光学事始め」で詳しく紹介していきます。

 また,現在(2020年5月時点),新型コロナウイルスによるパンデミックによって,世界中の観光が壊滅的状況となりました。観光客の移動によって新型コロナウイルスの感染が世界に伝播したという一部の状況も見過ごせません。多くの方々が新型コロナウイルスの犠牲となられ,痛ましい深刻な状況がつづいています。

 しかし,この危機を乗り切れたときには,ふたたび「観光」は世界中に拡大するでしょう。これまで危機に遭遇した「観光」は,強力なレジリエンス(回復力)を発揮しさらに発展しました。それと同時に,観光は危機後の社会の回復にある程度の役割さえ果たしてきました。

 新型コロナウイルスの危機が克服されたとき,「観光学」は今回の危機をしっかりと捉え,災害や困難にたいする「観光」の対応やその後の「観光」のあり方や実践を深く考えなければなりません。この点についても「観光学事始め」で触れたいと考えています。  それでは,Web講義「観光学事始め」をスタートします。

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