よりよい観光をめざす観光学 前半
この講義は、前々回の第14回から<観光学はどんな学問か>というテーマについて考えています。前々回(第14回)と前回(第15回)では、<観光学は個別学問となりえない>と、いきなり決めつけてしまいました。その理由というのは<観光学が固有の方法をもたない>からでした。
ただし、観光学は、観光の研究者が増え、いまや世界中の大学にそれを学ぶ学部や学科や大学院が設置されて、一応、学問としての市民権を得ている、とも考えられます。それは、固有の方法をもたなくても、社会的に有意味な研究対象であるがゆえに、実際的な‘応用’学問として、少なくとも‘現実的’に成り立っているといえます。
したがって、<観光学はどんな学問か>と問われるなら、前々回と前回で考えたように、観光学は、様々な個別学問によってアプローチされる、個人にも社会にも重要な影響をあたえる観光の現実を探究する学問である、と特徴づけられます。観光学は、いろいろな見方や技法を駆使して観光の現実に取り組む、いわば‘応用’学問です。このような特徴は、‘応用’学問としての観光学が、研究対象の観光をどのように捉えようとするか、つまり学問の形態からみたその側面を表わしています。
さて、今回は、‘応用’学問としての観光学が観光をどのように考えて、どのような観光の‘知識’を生みだしたか、つまり‘研究のプロセスと成果’の側面から、<観光学はどんな学問か>を考えてみます。観光学の‘プロセスと成果’の概要は、この講義の第1回から第13回で一通り紹介してきました。その特徴の要諦はといえば、観光学は最終的に<よりよい観光のあり方を探究する学問である>ということでした。
もちろん、観光学の研究は、まず、研究対象の‘観光’という事象を‘科学的’に、つまり‘客観的’に捉えようとしますが、さらに、その研究成果を適用して‘理想的な観光のあり方’を実践しようとします。こうした観光学の学問としての特徴にどんな‘意味’があるのか?今回は、その‘意味’を考えてみましょう。
これは、哲学の‘認識論 epistemology’、つまり<人が何かをみて、それが何かをわかるのはなぜか>を問う、正解のなさそうな批判的考察 critical consideration(これは非難や否定をするのではなく、基礎や原理からじっくり考えること)、つまり哲学的な解釈の議論となります。この議論から出る解答の適否は、観光学が実績をあげられたときに明らかになるかもしれません。とにかく、これまでの観光学が<観光をみて、どのようにそれを捉えたか>を解釈してみましょう。
1970年代に姿を現わしはじめた観光学は、当時に盛んとなった‘観光の大衆化’という現実が<様々な、しかも深刻な‘負の効果negative effects’をもたらす>と捉えました。もちろん、観光は、個人にも社会にも多大な‘正の効果positive effects’をもたらします。しかし、観光の大衆化は、‘悪い’観光の現実を顕わにしました。観光学の研究は、その‘悪い’観光の現実を捉えることから始まったのです。
観光の‘よい―悪い’という認識には、それを認識する人――これを‘認識主体’といいます――の‘価値判断 value judgement’が伴います。そして、認識される対象――これを‘認識客体’または‘認識対象’とよびます――にも、‘価値’がまとわりついています。
観光にかぎらず、人間がかかわって生じる全ての事象には、‘価値や意味’が(ここでは‘価値’の一語で表わしますが)付随します。ある社会の大多数の人たちが、ある認識対象を‘よい’または‘悪い’と価値判断すると、その判断はその社会の‘価値体系’として共有され――ときにこれは‘文化’ともよばれます――、その社会では多くの人が、たとえば観光の現実について‘よい’ないしは‘悪い’という価値観を共有するようになります――もちろん価値観の定まらない場合もありますが。‘価値体系’は、ある社会の文化ごとに異なり、時間とともに変化するので、価値判断(やそれにかかわる文化も)変化します。当然、観光についての価値観も、現実の変容で時とともに変わります。
観光は、多くの社会において‘よい’ことと価値判断されそうですが、ある社会のだれもが楽しめることではありませんでした。個人が観光をするには、それを実現する3つの条件が求められます。その条件とは<カネ+ヒマ+社会的サンクション>です。
3つ目の条件である‘社会的サンクション social sanction’とは、社会が個人の観光の自由を許容する、たとえば、他の人たちがみな仕事をしているときでも、当人は休暇をとって観光することができる、そのことを社会が承認するような条件をいいます。サンクションとは広義の‘賞罰’です。ある社会で‘よい’と価値判断された行為をすると褒められるような‘賞’があたえられ、‘悪い’行為をすると怒られるような‘罰’があたえられます。
個人が観光をするための3つの条件を充たす社会は、第二次大戦前の大国でも、あまりありませんでした。戦前の米欧では観光の大衆化の兆しはありましたが、その兆しも大戦の勃発で潰えました。観光は、世界中のだれもが憧れる現実であり、‘よい’と価値判断される現実であっても、特権階級や富豪の一部の人たちを除けば、実際に観光をすることはできない状況でした。大戦前に植民地であったり大戦後も発展途上国であったりした社会では、当時、‘観光’という言葉さえありませんでした。先進国で観光が大衆化したさい、観光の3つの条件を充たせず、観光客を生みださない発展途上社会では、‘観光’は‘楽しみの旅行’という自由時間の活動ではなく、豊かな外国の観光客を受け入れる経済活動でした。
このように、観光についての‘価値’は、観光が発展途上国の例のように認識さえされない場合も含め、複雑でつねに可変的といえます。それでも、世界的に、個人のレベルではたいてい‘観光をする’ことへの期待は高く、‘観光’は個人にとって‘よい’価値を有している、とみられます。
ところが、1950年代後半あたりから米欧の国々で‘観光の大衆化’の現実が発生し、また高度経済成長のピークに近づいた1960年代後半頃の前後の日本にも、米欧にやや遅れて‘レジャーの大衆化’に伴う‘観光の大衆化’が出現しました。‘観光の大衆化’が拡大すると、国内には、ゴミ、混雑、騒音、等々のいわゆる‘観光公害’が発生し、やがて国際観光の急増によって世界中の観光地で文化変容、自然破壊、売買春、等々の負の効果が顕著になりました。それらの負の効果によって、‘大衆観光 mass tourism’の実態が世界中で広く非難されました。その結果として、‘観光や観光客の価値’も急降下しました。
このような、‘観光’についての世界的な‘価値’判断、言い換えれば、世界の人々の‘観光観’が‘大衆観光’の現実によって変化しました。このような‘変化を的確にとらえ、その変化に伴い、観光研究の動向が転換してきたことを明らかにしたのが、ジャファリ(Jafar Jafari)でした。
ジャファリは、前々回(第14回)に引用した「観光研究と個別学問」の図を作成した人です。この人は、イラン出身で、イスファハーン(イラン)で英語ツアーガイドをしていて、文化人類学者のマーガレット・ミードなどの助言もあって、アメリカに留学しました。留学当初、ジャファリは、ホテルマネジメントの学部と修士の学位を取り、1975年に人類学会でヴァーレン・スミスと出会い、観光学に取り組んでいます。その後、ミネソタ大学で文化人類学を専攻して博士号を取得しました。
ジャファリは、現代観光学の先駆者といえます。特に観光学の研究教育制度の創設に尽力し、現代観光学の基礎を築いた人物の1人です。彼は、本講座第6回に紹介したIAST(国際観光学術会議)の初代会長であり、いまや国際的に最も権威ある観光学術誌 Annals of Tourism Research を1973年に創刊しました。この雑誌は、創設当初、実務系志向の観光学でスタートしましたが、やがて学術志向となり、1991年に当雑誌に特集“Tourism Social Science”をグレーバーン(Nelson H. H. Graburn)と編集し、社会科学系の観光学の本格的な展開を促しました。
ジャファリの紹介が長くなりましたが、このジャファリが<観光観の変化と観光研究の動向>をうまく整理しています。それは、‘観光観’を‘観光研究の土台 platform in tourism research’とみなし、観光研究の動向を特徴づけるというものです。‘観光研究の土台’を、ジャファリは、擁護の土台(Advocacy Platform)→ 警告の土台(Cautionary)→ 適合の土台(Adaptancy Platform)→ 知識志向の土台(Knowledge-based Platform)、と特徴づけました。この説明は、次回につづけます。