せとうち観光専門職短期大学

観光Web講義


安村 克己

観光学は個別学問となりうるか? 後半

 今回は、<観光学は個別学問となりうるか?>を前回につづいて検討し、その可否に決着をつけます。結論を先走って言うと、‘観光研究(tourism studies/tourism research)’は、当面、学術界で認められる個別学問としての観光学(tourismology)となりえそうにありません。

 ただし、日本では、‘観光学’(この語の英語表記にはtourism studiesが多く用いられるようですが)という言葉がすでに頻繁に使われていて、社会的にもかなり認知を受けています。そこで、この講義でも、‘観光学’と‘観光研究’の言葉を、適宜、使い分けたいと思います。

 ‘観光学’という呼称が一般的だとしても、その‘観光学’は、本来の個別学問としての条件を充たしていない、と考えられます。なぜなら、観光研究には、個別学問となるための固有の方法 ― 理論をふくめた独自の方法論 ― が未だにないからです。

 だから観光研究は、個別学問として学術界や世間で認められた社会(諸)科学の方法に頼って観光の事象にアプローチしてゆくことになります(前回にあった<ジャファリによる観光研究の図>をもう一度みてください)。個別科学とされる社会(諸)科学の方法は、前回に指摘したとおり、かなり怪しいのですが、それでも長年かけて培った、それぞれの研究成果をあげた方法(らしきもの)があります。

 ですから、話はそれますが、‘観光’を研究しようと思う人は、多様にみえる観光事象なかで自身がアプローチしたいと考える観光の特徴から、それを探るのに適した方法を、社会学、地理学、人類学、心理学、経済学、……、といった社会科学からみつけるのがよさそうです。もっといえば、‘観光学’を学ぶには、まず、個別学問の社会科学の方法を徹底的に身につけるのが、回り道のようでも、近道です。ちなみに私は、もともと理論社会学を専攻していて、後に観光が地域におよぼす社会的文化的影響を研究するために‘観光学’に取り組むようになりました。

 さて、話を元に戻し、観光研究が個別学問の‘観光学’として成立できない理由をあらためて詳しく考えます。まず、個別学問になる条件をあげたうえで、それに照らして‘観光研究’の現状をみながら、<観光学は個別学問となりえない>という解答の適否を考えましょう。

 まず、‘個別学問が成立する条件’を取りあげてみます。私の恩師の1人、前田勇先生(立教大学名誉教授)は、個別学問が成立する要件として、次の3点をあげています。

① 既存の学問では説明できない事象があり,それを解明することが重要な課題となっているという状況があること

② 新たな事象を把握・解明するための研究方法がつくられており,その方法による研究成果が認められつつあること

③ それらの研究成果を統合して,体系化を図る試みが示されていること

 これらの学問成立の成立要件を字句通りに厳しくみると、現行の観光研究には、十分に充たれていない条件がありそうです。3つの条件を観光学が充足しているか、それぞれに考えてみます。

 条件①<固有の研究対象をもつ>では、‘観光’がとても重大な現実であるにもかかわらず以前には見過ごされていて、その事象の研究に取り組み始めたのだから、少し甘くみると、‘観光学’の成立が少し見直されるかもしれません。

 また、条件②<固有の研究方法による研究業績の集積>については、前述のとおり、観光研究の方法はいまのところすべて借り物です。ただし、社会(諸)科学の方法は、どの学科の方法も厳密には固有の方法をもつとはいえないので、<観光学に固有の方法>という考え方自体が難しいという(ここでは突きつめませんが)、社会科学に方法論上の複雑な状況があります。そして、観光研究の成果は、本稿の第1回から第13回までにみたように、それなりに積み重ねられてきた、といえます。

 ところが、条件③<研究成果の統合と体系化>となると、これはほぼ達成されていません。観光研究は社会(諸)科学などのいろいろな方法によって、多くの様々な研究成果が積み重ねられてきましたが、それでは‘観光’の体系的な説明や、その説明によって明らかになる‘観光’の全体像となると、その糸口をみつけるのさえ怪しい状況です。‘観光学’の知識は、社会(諸)科学の成果の寄せ集めのようなもので、体系的に編成されていません。

 ‘個別学問が成立条件’を提示している前田先生も、‘個別学問としての観光学’が成立するのは難しい、という立場とっています。その理由は、やはり観光研究が条件③<研究成果の統合と体系化>を充足していないことにあります。

 ただし、前田勇先生が編纂した『新現代観光総論』(学文社)という観光学の概論書には、観光研究から導きだされた観光の知識が‘体系的’に編成されています。この概論書は、1995年に『現代観光総論』初版が刊行され、その後、現在(2021年)まで4半世紀にわたり、変化する観光事象をとらえ、新たな観光研究の視点をくわえて、改訂されています。この概論書は、これまで29回も改訂され、その都度、多くの版を重ねてきました。2015年からは書名が『新現代観光総論』と改められ,現在はその第3版(2019年8月)となっています。

 『新現代観光総論』は、初版以来ずっと、‘観光学’の代表的な概論書と評価されています。本学、せとうち観光専門職短期大学でも、観光学概論の教科書として採用されます。この概論書は、観光研究の対象領域全体をカバーし、各領域を探究する研究者がそれぞれのテーマで執筆しているのですが、全体が‘前田観光学’の視座によって体系的に統合されているといえます。

 こうした概論書によって、観光研究の研究領域全体を見渡し、社会科学の各学科から導きだされた各領域の知識を体系化する試みは、個別学問としての‘観光学’に一歩ずつ近づく歩みとみなせるかもしれません。

 このように‘前田観光学’は、‘観光学’の構築に貢献しているようにみえますが、前田先生は、前述のように、‘観光学’の成立に懐疑的です。それもあってか、『新現代観光総論』の書名には‘観光学’が使われていません。‘観光学’の当面の成立に疑問を呈した前田先生は、観光を研究領域(fields of research)とみなしています。

 観光を研究領域とみなす考え方は、イギリスの観光学者トライブ(John Tribe)の主張にもみられます。トライブは、“観光学”が成り立つかをめぐって,2000年にAnnals of Tourism Research誌上で、オーストラリアの観光学者リーパー(Neil Leiper)[2010年に66歳で逝去]と論争をしました。一方のリーパーは「個別学問(discipline)としての観光学(tourology)の構築をめざそう」と主張しましたが,他方のトライブは「観光とは研究の領域(field)であって統一的な研究のアプローチを構築できないから観光学は成立しえない」と反論しました。

 トライブは、前田先生と同様に、観光を研究領域(研究対象)とみなしたうえで、観光研究は個別学問になりえない、と結論します。その結論は、大雑把にいうと次のように導きだされました。観光が‘実務’世界(World of Practice)と‘学術’世界(World of Thought)の領域にわかれ、それぞれの世界において、観光に取り組む様々な研究が、様々な考え方や様々な方法で錯綜するため、観光研究は個別学問に統合されえない、いやむしろ、そのことこそが観光研究の特徴だから統合する必要などない。トライブの考えでは、観光という特殊な研究領域において観光研究に固有の方法(論)は存在しえない、ということのようです。

 ただし、トライブは、観光をとらえる考え方の1つとして‘モード2’を取りあげています。‘モード2’とは、ギボンズ(Michael Gibbons)たちが提唱した、2つのタイプの‘知識の生産様式(モード)’の一方です。‘モード1’は、個別学問がめざす従来の学術的な‘真理探究型’の知識生産様式であり、それにたいして‘モード2’は、実世界の課題に取り組む‘問題解決型’の知識生産様式といえます。詳しくは、マイケル・ギボンズ編著『現代社会と知の創造 モード論とは何か』(丸善ライブラリー, 1994年)をご覧ください。

 ‘観光学’は、ひょっとすると、真理探究型‘学問’の観光研究成果にもとづき、‘問題解決型’学問として、特に<個人にも社会にもよりよい‘観光’のあり方>の理論と実践を追究する学問として成り立つかもしれない、と私は少しだけ期待をもって考えています。この大きな課題については、機会があれば、あらためて議論したいと思います。

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