⑧短編小説『ロマンのかけらもない』
暗いアパートの廊下を抜けると、外はすでに真夏の空だった。
「台風が発生した。8月7日から9日までの3連休は、2つの台風が、西日本と東日本に接近する」とのニュースが流れたので、予定を1日早めて出発することにした。
午前6時25分、古いアパートの廊下に、カチンという大きな音を響かせて、ドアに鍵を掛ける。ご丁寧に一、二度ドアノブを引き、今度はドンドンと低い音をハモらせる。心配性な中年男の近所迷惑なルーティーンである。
駅までは徒歩で10分ほどだが、夏休み中ということもあり、途中、すれ違う人は少なかった。ホームに上がると、ほどなく中津川行の各駅停車が到着した。近頃は何の遠慮もなく、優先座席に座る。もちろん、本当のお年寄りやヘルプマークを持っている人が乗車してくれば、すぐに席を変わるつもりだが、このご時世、混雑を避け、感染を防止するための対策としてはけっこう有効だと考えている。気持ちはまだまだ若いが、マスクをしてうつむき加減に座っていれば、外見上、優先座席に座る資格は十分にあるように見える。かつて、小学生に席を譲られた経験もある。
列車は、高蔵寺駅を出るとすぐに山に入って行く。両側を山に囲まれた定光寺駅を抜け、比較的開けた古虎渓(ここけい)駅を通過して多治見駅へと到着する。古虎渓駅を通過した時、名古屋から30分ほどのところにしては、のどかな風景だと感心したが、1週間後の大雨で、線路に近くの砕石場から大量の土砂が流入した。復路はこの路線を利用できなくなることを、この時、私は想像すらしていなかった。
乗替駅の中津川駅に到着すると、向いのホームに塩尻行のワンマンカーがすでに停車していた。2両しかないので、結構、混んでいたが、またしても優先座席作戦を実行したので、必要な空間は確保できた。向かいの優先座席には、高校生くらいの女性が座った。はじめはバツが悪そうだったが、すぐに居眠りをし始めた。不意に、東京の地下鉄の優先座席では、寝るのが勝ちなのだということを思い出した。
ワンマンカーは1両目の一番後のドアが入口で、一番前のドアが出口になっている。入口は優先座席のすぐ近くなので、いろいろな乗客が乗ってくる。機械から整理券が飛び出すが、取っている人はあまりいない。降りるときに運転手に整理券を見せ、料金箱に料金を入れて降りる仕組みらしい。私が奈良井駅で降りるときは、青春18きっぷを見せただけだった。
時刻はまだ9時17分である。奈良井駅を出ると西の方向に街並みが続いているのは見えたが、人気は少なく、観光のかおりはまだ漂っていなかった。配達の軽自動車やバキュームカーが止まっており、生活のにおいがした。奈良井宿は、国が選定した重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)であり、そこに人々が居住し、生活している。観光と地域住民の生活と文化財の保存、この3つの共存を体現した場所だと思う。だから、私は重伝建が好きだ。もっと観光地化した重伝建もあるが、奈良井宿はバランスが良い。だから、私は奈良井宿が好きだ。
次の列車は11時27分なので、約2時間ある。たぶん時間が余るだろう。そう思った私は、線路の南側を通って街並みの西の端まで行き、そこから建築物を見ながら駅に戻ってくることにした。線路の南側には道の駅があり、大規模な駐車場が整備され、土産品店兼カフェが1軒ある。こちらの経路は主に車で来る人たちのために整備された経路である。そこから西へ100mくらい行ったところに木曽の大橋が掛かっている。木曽の大橋は奈良井川に掛かり、中山道と奈良井宿をつなげている。樹齢300年以上の総檜作りの太鼓橋は橋脚を持たない木製の橋としては日本有数の大きさとのこと。橋の下部の木組は美しく、匠の技を垣間見ることができる。とガイドブックに書かれていたのを思い出しながら、上から下から少し頭がおかしいのではないかと思われるくらい眺めていた。
街並みの西の端に到着したのは30分後くらい。そこには、鎮(しずめ)神社があった。鎮神社は元和四年(1618)、奈良井宿に疫病が流行り、これを鎮めるために下総国(千葉県)香取神宮から経津主神を招き、祭祀をはじめたとされている。毎年8月11日・12日の両日には、氏子総出による盛大な例祭がとり行われ、地元を出ている人も戻り、1年でもっとも賑やかな時を迎えるそうなのだが、線路の南側で、周辺道路が8月12日に歩行者天国になるとの看板を見かけたのを思い出した。このことと関係があるのかもしれないが、今年はおそらく秋雨前線による大雨だったろう。どうなったのだろうか。
境内では、新型コロナウイルス感染症も早く鎮めてほしいと思いながら参拝していたら、手水舎から若い女性の甲高い声が聞こえた。ここで初めて見かけた観光客ではあるが、神社でははしゃぐことなかれ。
そこから駅まで、街並みや家々の軒先を眺めながら駅までのんびり散策した。途中、家の前でビニールプールに入る幼児や野球の素振りをする丸坊主の少年を見かけた。こんなところにも、昭和の風情が感じられる。道はきれいに舗装されているので、かえって車の往来が多いのが玉に瑕かもしれない。家の前に駐車する車に何度も道を塞がれた。土産品店やカフェも数件ある。地元の特産品である漆器を売る店も多い。
映画男はつらいよシリーズの第10作「男はつらいよ 寅次郎夢枕」(昭和47年12月公開)には、長野県塩尻市奈良井の宿、かぎ屋旅館で寅さん(渥美清さん)が登(秋野太作さん)と再会するシーンが登場する。映画では、かぎ屋旅館の部屋の窓から奈良井駅が見えた。実際に行ってみると、それらしき場所に旅館はなかったが、よく似た建物があった。民家のようであったが、ひょっとしたら、民家の一室をロケに利用したのかもしれないと勝手な想像を巡らした。
奈良井駅に戻ったのは、午前11時少し前だった。私はホームの待合室で待つことにした。山に凛と立つ木々や透明な空を眺めていようと思ったからである。実際に、一番うれしかったのは、山から吹いてくる木曽路の新鮮な風である。とても涼しく半時間ほど快適に過ごした。「木曽はすべて山のなかである。」宿場は違うが、島崎藤村の小説「夜明け前」(小説の舞台は馬籠宿)の冒頭が頭をよぎった。
しばらくの間、待合室をひとりで占拠していたが、気がつけば一人旅の女性が私の斜め前に座っていた。小説ならば、文庫本でも読んでいそうだが、その人はスマートフォンを操作していた。「奈良井宿はいかがでしたか?」などと話しかけるはずもない。優先座席に座るような男には、すでに、そんなロマンのかけらもないのである。
発車時刻の4分前に列車が近づいてくるのが見えた。ちょっと早いなと思ったが、どうやらこの駅で上下線がすれ違いをするらしい。ホームでは、ワンマンカー入口の表示の前にすでに多くの若者が並んでいた。しかし、私は少しも焦ることなく、むしろ、ほくそ笑んだ。ここを通る電車はほとんどが2両のワンマンカーなのだが、時刻によっては、4両連結の普通列車が来る場合がある。駅の時刻表でこのことを確認していた私はひとりホームの端に立ち、一番前の車両から悠然と列車に乗り込んだ。
むろん、優先座席に座る必要はなかった。