海外での「もてなし」とプロトコール(protocol・国際儀礼) | せとうち観光専門職短期大学|業界最先端の学術と実務を学べる

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堀田 明美

海外での「もてなし」とプロトコール(protocol・国際儀礼)

 もてなしに関して、最後の9回目となりました。次回10回では、本連載の引用・参考文献を回数を追って記載します。次の新しい連載内容は、「プロトコール(protocol・国際儀礼)」に関して綴っていく予定です。今回はそのプロローグとして、海外でのもてなしに関する基本部分を考えていきます。

 客室乗務員の31年間では、地球を500周程の距離をフライトしました。しかし、「接遇」連載の「はじめに」にも記しましたが、今やISSは一日で地球を16周の時代となり、科学技術の発達による飛距離も違えば、SNSで瞬時に人ともつながることができます。「距離」や「関係」の意味もすっかり様変わりしました。とは言うものの、仕事場であったジェット機の移動を通し、多国籍の方々と対面でコミュニケーションがとれたことは、常に「人に会うって素晴らしい」という主体的な喜びと共に、人や外国の文化への興味が尽きない学びの時間でもありました。

 そんな中で、「プロトコール(protocol・国際儀礼)」への意識は、仕事上からの必然で始まりましたが、海外への興味は、SNSのない時代の「国際文通」や、自宅に毎月届く『世界のカード』(世界文化社)、『少年少女世界の名作文学』(小学館)など、「世界の~」を冠した書籍が発端でもありました。「世界の~」が、近くの書店から配達されることを心待ちにしていました。幼い頃に「本」と「世界」を身近なものにしてくれた両親のおかげです。

 世界とつながりたいということを、中学生頃には考えていて、1970年の大阪万国博覧会会場で知り合ったアメリカ人女性と国際文通を始めました。当時は、「国際文通のための手引き」のような日英の手紙文中心の英作手引書も多く、それら数冊に頼りながらの文通でした。かなり年上の彼女からの手紙の冒頭は、いつも「Dear little pearl of Orient」(親愛なる東洋の小さな真珠ちゃんへ)で、そんな書き出しが嬉しく、文通はしばらく続きました。筆者は、真珠の産地三重県出身でもあることから、乗務員時代は必ず真珠のピアスをつけて乗務していましたが、その時の手紙冒頭の影響もあったと思います。彼女がその後、鳥羽のミキモト真珠島を訪れた時にも会いに出かけました。ミキモトパールのために世界から観光客が訪れ、御木本幸吉の養殖真珠への思いも理解しており、「日本女性なら真珠」という「ならでは」が、すでに出来上がっていたように思います。現在香川県在住ですが、隣接する愛媛県もあこや真珠の産地であり、今でも仕事の時にはパールピアスや真珠のブローチ・ネックレスが守り神のようになっています。

 「真珠」という日本ならではの発信は、その国、その土地ならではの文化・芸術・伝統工芸などの発信とイコールであり、相手にとってもわかりやすい相互理解につながります。真珠のみならず、日本人が生活文化として纏っていた和服などもそうです。和服は日本の民族衣装と言われますが、第7回で京都花街や旅館のもてなしでも綴ったように、今では和服を纏っていることだけでも、その場が安全かつ魅力ある空間であることをアピールできます。そうした安全な場所で、和服で日本茶や抹茶を呈す事は、相手にくつろいでいただけるシンプルなウェルカムの基本形でもあります。特別なことをしようと、難しく考える必要はありません。お水も有料の諸外国とは違い、日本には生活の中で、誰にもお茶を勧める文化があるということです。

 海外でのもてなしやプロトコール(protocol・国際儀礼)を考える時、呈茶以前のこととして日本人が忘れやすいのは、その場が安全であるということです。そして誰も傷つけない・傷つかないという世界共通のルール、宗教を含むその土地での暗黙知に従うこと、その場の誰もが不快な思いをしないことが前提として必要です。プロトコール(protocol・国際儀礼)は、基本としてキリスト教文化の影響を大きく受けていることも考える必要があります。例えば日本でのしきたりでは左上位ですが、キリスト教の文化を持つ国では右上位というふうにです。上位の位置が尊敬される位置だという認識もあり、座席の序列は差別の意味ではなく、序列がうまくいく関係性で、その場が治まることも表します。

 左右の問題だけでなく、日常の振舞いの中で日本の常識が海外では非常識なこともあり、海外の常識が日本での非常識にあたることは数多くあります。しぐさの違い、挨拶の方法、細かく言えばうなづき方、手招きの仕方、ハンドサインの作り方など、例を挙げればきりがありません。

 では何を基準にすればよいのでしょう。例えば、自分が他人の家に伺った時に、まるで我が家にいるように自分流でやりたい放題しないように、そうしたどこにいても共通する嗜みを身に付けることを、大人のマナー(manners)と考えるとよいと思います。大人と子どもの違いは、海外では大いに認識されており、マチュア(mature)である必要があります。それは、ソーシャライズ(socialize)されていること、シビリティ(civility)の有無、エチケット(etiquette)を重んじるなどです。様子を見て相手に合わせ、さりげなく溶け込みながら基準を見定め、場の空気を読むのは、同調圧力を気にする日本人が得意なことでもあり、郷に入れば郷に従えの諺は世界中にあり、そうしたことがそれぞれの国の基準であり、また共通部分でもあります。異文化と異習慣をつなぐことは、そこが日本であれ海外であれ、自分の目の前にいる人に、尊厳を持ち、場の理解と共に丁寧に振舞えるかが最も基本的な共通ルールと言えます。右左の知識もそうした場面に臨席する時にはもちろん必要ですが、どんな時も日常での振舞い(behavior)が基本になることは、言うまでもありません。時所位に合わせて振舞うことは、簡単そうに見えても実は難しいということを、経験として積み重ね、大人として嗜んでいくしかないと思います。

 次のプロトコールに関する連載では、プロトコールかプロトコルか、プロトコールの日本語訳が国際儀礼となったのはいつ頃からか、日本でのプロトコール関連出版物、現在までのプロトコールへの理解と変遷などに関して紐解いていきたいと思います。諸外国との関わりが益々近く密になっていく現在、外務省などが関係する国家レベルのプロトコールだけでなく、観光視点からのインバウンドへの対応や、少し視点を広げ、儀礼や礼節の意味からも考えていこうと思います。

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