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石床 渉

独自の発展を遂げた「島の文化」 農村歌舞伎

 今回は小豆島の「文化」の農村歌舞伎を紹介します。周囲を海に囲まれた小豆島では、古くから島民が独自の文化を生み出してきました。小豆島の文化の一つである農村歌舞伎は、現在、肥土山地区と中山地区の島内2箇所で、毎年、肥土山では春に、中山では秋にそれぞれ上演されています。今回は小豆島における農村歌舞伎の歴史を紹介し、小豆島の文化と観光がどのように関係しているのかを説明します。

 小豆島の農村歌舞伎は、今から約300年前の江戸中期まで遡ります。小豆島に歌舞伎の文化が伝わったのは、小豆島の島民が醤油の運搬やお伊勢参りの道中に上方(大阪)で観た歌舞伎に感銘を受け、一座を小豆島に招き、上演したのが始まりといわれています。小豆島の歌舞伎は江戸末期から昭和初年にかけ最盛期を迎え、最盛期には島内に約30の歌舞伎舞台がありました。その後は役者不足や火災による舞台焼失で農村歌舞伎は衰退しましが、前述のように、現在は島内に2箇所の歌舞伎舞台が残っています。そのうちのひとつである肥土山農村歌舞伎は5月上旬、もうひとつの中山農村歌舞伎は10月上旬に奉納歌舞伎を上演します。歌舞伎を奉納する5月は田植えの時期であり、10月は稲刈りの時期にあたります。歌舞伎は神様への五穀豊穣を願う神事として、古くからはじまり、今も受け継がれているのです。

 一方の肥土山地区は小豆島の中央部にあり、周囲を山に囲まれている盆地です。農業が盛んな地区ですが、小豆島は雨の少ない瀬戸内式気候のため、江戸時代から農民は水不足に悩まされていました。1686(貞享3)年、肥土山の庄屋・太田伊左衛門典徳は「水」に対する住民の思いを受け止め、私財を投じて肥土山地区の山間部に蛙子池を構築しました。住民は池の水が肥土山地区に流れてきたのを祝い、肥土山離宮八幡神社に仮小屋を建てて歌舞伎を奉納しました。これが肥土山農村歌舞伎の始まりといわれています。

 地元での歌舞伎の指導は1856(安政3)年に坂東いろはが来住して以来、上方役者が移り住み、そして大正から昭和(戦後まで)は、市川島十郎が振付師として活躍しました。その後は山下梅調が振付の指導にあたり、小豆島歌舞伎の発展に貢献しました。

 舞台は寄棟造りの瓦葺であり、舞台の中心を人の力で動かす廻り舞台やセリが設けられています。この舞台は、1975(昭和50)年、国の重要有形民俗文化財に指定されました。

 また、もう一方の中山地区は、上述の肥土山地区の東隣に位置し、小豆島の貴重な水源となる湧水「湯船の水」や日本の原風景「千枚田」がある地区です。1985(昭和60)年、「湯船の水」が環境省から名水百選に選定され、1999(平成11)年には農林水産省から日本の棚田百選に選定されています。中山農村歌舞伎の始まりは、今から約300年前の江戸中期といわれています。

 舞台がいつ建てられたのかは文献などの記録がないため定かではありませんが、天保(1831年~)年間以前に琴平(現在の香川県琴平町)の旧金丸座を参考にして建築されたと伝えられています。舞台のなかの階段あたりに「文政6年」の文字が見えることから、1823(文政6)年頃に建てられたと推測できます。舞台は、肥土山地区と同様に、寄棟造りの茅葺であり、舞台の中心を人の力で動かす廻り舞台やセリを設けられています。この舞台は、1987(昭和62)年、国の重要有形民俗文化財に指定されています。2012(平成24)年には茅葺屋根の全面ふき替え工事が行われました。舞台の前に石臼のような照明器具「油鉢」があるのが特徴的です。

*300年以上の歴史がある小豆島の農村歌舞伎。

 肥土山と中山の両地区では現在も地元有志でつくる農村歌舞伎保存会があり、奉納歌舞伎の日が近づくと上演に向け、役者も裏方も熱心に稽古や打ち合わせを行います。奉納歌舞伎当日は子達が演じる『白波五人男』、跳ねるような躍動感のある『三番叟』、赤穂浪士の名場面『仮名手本忠臣蔵・一力茶屋の場』などが上演され、迫真の演技に観衆から惜しみない拍手や歓声があがります。観衆の座る桟敷席では桟敷の権利を持つ、地元の各家庭で作られたワリゴ弁当が広げられ、家族から親せきのほか桟敷席への来客へ酒などとともに振る舞われます。「ワリゴ」とは、蕎麦屋の「おかもち」に似た機能をもつものです。「ワリゴ」の中に収められている弁当箱は長方形の真ん中を斜めに切った台形に似た形をしています。この弁当箱を隙間なく10数段に重ねて「ワリゴ」に入れるので、各家庭から桟敷へ運搬する際に弁当の中身が崩れません。弁当の具材は各家庭により異なりますが、軽く押して固めた御飯、人参や牛蒡を炊いた煮しめ、卵焼きなどです。

*各家庭で作られ桟敷席で振る舞われるワリゴ弁当。

 小豆島の農村歌舞伎は、近頃、イベントやメディアなどを通して、広く社会に認知されるようになりました。たとえば、2014(平成26)年6月、東京小豆島会創立110周年を記念して、明治神宮において約300名の小豆島出身者やメディア関係者を集め、南北朝時代に小豆島を治めた武将・佐々木信胤とお才局の恋を題材にした演目「小豆嶋」を上演しました。2016(平成28)年8月には「第8回世界考古学会議京都大会」の前段として開催された、「世界考古学会議小豆島プレシンポジウム・プレツアー」において、世界の考古学者とその家族の約20名を対象に農村歌舞伎保存会が歌舞伎の衣装の着付けや化粧を施す体験プログラムを行い、プレツアーの参加者から賞賛を受けました。近年では小豆島の歌舞伎が映画やテレビで取り上げられる機会が多くなり、歌舞伎舞台を使った瀬戸内国際芸術祭の関連イベントも行われました。

 知名度の上昇とともに島外から多くの観光客が農村歌舞伎の鑑賞や舞台の見学に訪れるようになりました。春の肥土山、秋の中山の奉納歌舞伎は無料で鑑賞することができます。約500名を収容できる桟敷席は毎年賑わいを見せています。小豆島の農村歌舞伎は島民の単なる娯楽を超えて、代々受け継がれる伝統文化となり、島民の誇りとなっています。小豆島の農村歌舞伎は、観光によって、島民にも来島者にも島の魅力を再認識させる伝統文化となっているのです。

 今回紹介した、肥土山、中山の奉納農村歌舞伎の日程は、一般社団法人小豆島観光協会のホームページをご参照ください。(ホームページhttps://shodoshima.or.jp)

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