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石床 渉

独自の発展を遂げた「島の文化」 小豆島霊場

 小豆島の「文化」を紹介して3回目となる今回は「小豆島霊場」を紹介します。

 今から約1200年前、若き弘法大師空海は生国である讃岐と京都や高野山を往来する途中、小豆島にしばしば立ち寄り、修行をして小豆島霊場の礎を築きました。弘法大師空海の教えに基づき、島民は古くから人の憎しみや悲しみを解きほぐすための「祈り」を行うようになりました。

 弘法大師の教えは受け継がれ、霊場文化は「祈り」とともに島民が自ら食材や金銭を持ち寄って巡拝者をもてなす「お接待」という文化を作り上げ、時を経た現在も島外から訪れた人をあたたかく迎え入れる「心」の素地となっています。

 今回は小豆島霊場の歴史や特色を説明し、小豆島の「霊場と観光」がどのように関係しているのかを解説します。

 まず、小豆島霊場のはじまりを伝説や記録に基づき、たどります。讃岐国多度郡屏風浦(現在の香川県善通寺市)で生まれた弘法大師空海は、小豆島で山野や海浜を巡りながら祈りを捧げてきたと伝えられています。当時は現在のように島内を網羅した霊場ではなく、いくつかの聖地が点在し、修行者たちが巡るなかで小豆島霊場の原型が徐々に作られたと考えられます。ちなみに小豆島霊場会では、その頃にあたる814(弘仁5)年を教義上の霊場創始と見なしています。

 その後、聖地が修行の場として点在していたものから変化して、現在のような小豆島八十八ヶ所霊場を確立したのは江戸初期になってからと考えられます。1708(宝永5)年に書かれた「小豆島中寺社方由緒帳」には島内寺院の伽藍が現在の規模以上に整備されていたことが記されており、当時のことが伺えます。また、現在も各寺に残されている「棟札」から、当時の寺院は役所のような機能を果たしており、江戸初期には既に島内各所で寺院が存在していたと推測できます。

 ところが明治期になり小豆島霊場は厳しい時期を迎えます。明治政府は江戸幕府の民衆統括組織であった寺院を旧体制として排除しようとします。明治政府の「神仏分離令」発令によって、霊場札所の変更や檀家のいない寺は廃されるなど、小豆島霊場も例外ではなく、全国の寺院同様に危機的状況におかれました。

 しかし、このような激変期を経て、明治末期頃には島民による小豆島霊場の復興を目指す動きが起きました。1910(明治43)年、島民の有志は大阪の新聞社6社を小豆島に招き、取材ツアーを催行しました。その結果、小豆島霊場の記事が各社紙面にて掲載され、都市部での小豆島霊場の知名度向上となる大きな機会となりました。そして、これをきっかけとして更に霊場復興の機運が高まり、1913(大正2)年には巡拝者の増加を目的とした「小豆島霊場会」が設立されました。島民の霊場に対する思いが、取材ツアーの催行や小豆島霊場会を設立するという形となり、広報活動や霊場運営の充実が図られ、その後の巡拝者の増加につながりました。

 それでは次に、小豆島霊場の特色についてみていきます。まず、特色のひとつとして、札所が海の近くや山奥などに位置し、巡拝の行程が変化に富んでいることです。小豆島の29の寺院、51の堂庵、13の山岳霊場と総本院の94の札所を巡拝するなかで、山海の美しい風景や醤油蔵などの地場産業を垣間見ることができます。また、札所と札所の距離が短いため、短期間で結願できることも特色といえます。例えば四国霊場を歩いて巡拝した場合には約50日から60日を要しますが、小豆島霊場の場合には約1週間で巡ることができます。高度経済成長期以降は車の普及や島内の道路が整備され、自家用車やレンタカーを利用して巡拝を行う人が多くなりました。今では仕事やプライベートで忙しい人でも手軽に「島遍路」を楽しむことができます。

 こうして、明治期の廃仏毀釈で衰退した小豆島霊場は大正期になり霊場会を設立し、変化に富んだ行程を1週間で巡れる手軽さから巡拝者が増加しましたが、近年は巡拝者の高齢化やレジャーの多様化などにより、巡拝者の減少に歯止めが掛かっていません。小豆島内の宿泊施設(60施設)を対象とした宿泊調査では、観光などを目的とした全体の延べ宿泊者数が2014(平成26)年の408,581人から2019(令和元)年には458,713人と増加したのに対し、そのうちの巡拝を目的とした延べ宿泊者数は2014(平成26)年の14,193人から2019(令和元)年は6,740人と半減し、全体の延べ宿泊者数の増加に逆行する形となっています。宿泊調査からも分かるように、更なる小豆島の活性化には巡拝者の増加が不可欠といえます。

 このように、巡拝者が減少する状況のなか、小豆島霊場会は従来の巡拝者の受け入れだけではなく、観光客や中高生を対象とした体験プログラムを提供し、霊場と地域の活性化につなげようとしています。そのひとつ、小豆島霊場第54番札所「宝生院」では小豆島の特産品であるオリーブに着目して、オリーブの剪定木を使った「オリーブの念珠作り体験教室」を開催し、観光で訪れた女性を中心に人気を集めています。また、山岳霊場は地元の観光協会と連携して、国内外の旅行会社向けの「護摩焚き体験モニターツアー」を催行しながら、新たな参詣者層を模索しています。そして、2015年からは毎年、中学や高校を卒業する生徒を対象とした「卒業遍路」を企画し、遍路という「体験」を通して、次代を担う若い人達に小豆島霊場の魅力を伝えようとしています。

 変化をしながらも長く続いてきた「霊場文化」を守り、若い世代の人たちに継承することが大切です。そして、今後も小豆島霊場が持続可能な「文化」となるためには、視点を変えた体験を観光客へ提供することや、企画を通して新たな参詣者層の掘り起こしを行うなど、「霊場と観光」をつなげようとする試みが有効であると考えられます。

(参照:小豆島各港別乗降客等調査表)

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