孔雀茶屋と花鳥茶屋―動物園・動物カフェ前史
今回は、孔雀茶屋と花鳥茶屋について紹介します。これらはともに、江戸時代に大坂、京、名古屋、江戸などで見られた、禽獣を飼育し一般に公開していた施設です。主に大坂では孔雀茶屋、江戸では花鳥茶屋と呼ばれていました。どちらも飼育している禽獣を人々に見せていたという点では同じですが、造園学者の若生謙二によれば(『動物園革命』岩波書店 2010年)、一方の孔雀茶屋は庭の様にしつらえた空間できれいな鳥を鑑賞する形態であり、もう一方の花鳥茶屋は雨天でも鑑賞できる建物があり、酒や落語も提供されるような娯楽的要素の強い形態であったようです。飼育されていた動物はクジャクやオウム、インコなどの鳥類が多いものの、中にはシカを飼育して見せていたところもあったそうです。
江戸時代の「動物を見る娯楽」といえば見世物興行がまず思い浮かびますが、孔雀茶屋や花鳥茶屋の場合、興行が行われるような狭い仮設小屋ではなく、常設の比較的広い敷地に禽獣を配置していました。細川博昭は、これらの茶屋が、広い場所で落ち着いて、時間の制限なくゆっくり見たいという観客の希望を実現したものであったと推測しています(『鳥と人、交わりの文化誌』春秋社、2019)。
下の図は、『摂津名所図会』に描かれた「孔雀茶店(くじゃくちゃや)」です。図の中心に、親子連れがクジャクを楽しそうに見ている様子が描かれています。左下を見ると、男性が餌皿を手に持ち、池のオシドリに餌を与えています。まるで現在の動物園でも行われている餌やり体験のようです。
実際、孔雀茶屋や花鳥茶屋は明治から始まる日本の動物園の前史に位置付けられています。ただし、現在の動物園は「近代動物園」と言われ、来園者への教育を目的とし、動物を体系立てて分類・展示しています。それにたいして、孔雀茶屋や花鳥茶屋は必ずしも動物を系統にそって並べていたわけではなく、それらには教育上の使命等もありませんでした。それでも、常設の展示施設で動物を飼育し市民に広く公開していたという点では両者は共通しており、日本の動物園史を語る上では無視できない存在といえます。
また、これらの茶屋は現代の動物カフェとの繋がりも指摘できます。動物カフェとは、「ねこカフェ」や「フクロウカフェ」のような、店内で飼育されている動物とふれあうことができる飲食店のことです。一つの空間でお茶を飲みながら動物を見て楽しむという点では、孔雀茶屋や花鳥茶屋と同じ性質をもっています。先の「孔雀茶店」の図を見ても、右下にお茶を飲んだり煙草を吸ったりしてくつろいでいる人々の姿が描かれています。
それにしても、なぜわざわざ動物を見ることとお茶を飲むことを組み合わせたのでしょうか。少なくとも衛生面や臭気などの観点からは、とても好ましい組み合わせとは思えません。もちろん動物たちは、茶屋の話題性には一役買っていたはずです。普通に茶屋を開くだけでは話題性に乏しいため、珍しい動物や美しい鳥などを置いて人々を呼び込もうとしたのは大いに考えられます。私はその他に、2つの点から喫茶のシーンにおける動物の役割を想像します。1つは、「安らぎ」という点での動物と喫茶の間に親和性があることです。動物を見て心を和やかにし、お茶を飲んでさらに一息つくといったように、気分を和らげるといった点では両者の組み合わせは不自然ではありません。もう1つは、動物が憩いの場の形成に一役買っていることです。少なくとも現代の動物カフェでは、連れ立ってきた人同士だけでなく、店員や店にいる他の客との交流が見受けられます。そこに動物がいれば、例えば「この鳥は本当に見事な姿だ」「どこそこで見たクジャクはもっと大きかった」など自然と良い話題が提供され、交流が促されます。動物は、茶屋における人々の語らいにとって悪くない素材であったはずです。このように、茶屋に来る客の癒しに貢献し、話題を提供する役割があったのではないでしょうか。
残念ながら孔雀茶屋や花鳥茶屋は現代には存在していませんが、皆さんが動物カフェに行く際には、江戸時代のこの茶屋について少し思いをはせてみると面白いかもしれません。