せとうち観光専門職短期大学

観光Web講義


安村 克己

大衆観光と文化変容の問題

 今回も前回に引き続き、大衆観光が観光地の地域社会にもたらす負の影響について考えます。大衆観光による主な負の影響は、前回に紹介したように、地域の文化変容自然破壊です。今回は、大衆観光によって地域文化の変容や衰退が“どのように発生したのか”を説明します。

 地域の固有な文化、とくに“近代化にあまり汚されていない地域”の伝統文化は、近代文明のせいで地域文化の衰えた地域の人々、とくに先進国の都市生活者にとって、とても魅力的です。都市生活者は、地域の伝統文化にノスタルジア郷愁)を感じるといわれます。このような伝統文化の魅力が、観光地の観光対象となるわけです。“近代化にあまり汚されていない地域”というのは、発展途上国に多くみられますが、先進国では、経済的な“中心”である都市社会の“周辺”に位置する、農山漁村地域ということになります。

 ついでに付けくわえるならば、典型的な大衆観光客となるのは、観光客になる条件である“カネ+ヒマ+社会的サンクション”を充たす、先進国や中進国の経済的にある程度豊かな中流階層の人々です。さらに用語の説明をしておくと、“社会的サンクション”というのは、社会的規範のようなもので、ここでは“自由な観光行動が社会的にどれくらい許容されるのか”という社会的雰囲気になります。

 21世紀の日本では思い至らぬことですが、1960年代の高度経済成長の頃でも、皆が働いているときに会社員が休暇をとり、例えば家族とハワイに出かけるようなレジャー活動は、近所や職場にたいしてはばかられることでした(そもそも戦後日本の海外渡航自由化は1964年だったのですが)。その当時は、仕事や会社がなにより大切という社会的サンクションがあって、誰もがいつでも気ままに観光をできる社会的雰囲気はまだなかったといえます。こんな社会的雰囲気がなくなり、気軽な観光を思い留まらせるような社会的サンクションが解けたのは、1980年代になった頃です。

 さて、大衆観光よる文化変容に話を戻します。地域固有の伝統文化の魅力は、前述のように文化を観光対象に仕立て、経済的に豊かな観光客を惹きつけます。ところが、ある地域の文化が観光対象になると、それゆえに、地域の伝統文化が変容したり衰退したりする現実がみられるようになります。なぜか? 観光によって文化が崩壊にする経緯ついて、観光学は次のように説明しました。

 地域文化の結晶といえる文化財、たとえば工芸品や民芸品などが、観光客を魅了します。このとき、多くの観光客が地域住民の日常生活で用いる工芸品や民芸品を欲しがると、それらの人気が観光客の間でますます高まり、工芸品や民芸品は土産物として大量に生産・販売される商品になります。ところが、工芸品や民芸品が大量生産され土産物になると、それらの文化的な魅力は失われがちです。文化的な魅力を失ったかつての工芸品や民芸品は、ときに消滅さえしてしまいます。そうなると、観光客も、土産物に変わった工芸品や民芸品の文化を顧みなくなります。

 このように文化や文化財が観光をとおして衰退する過程を、観光学は文化の商品化(commodification)や文化の低俗化(trinketization)とよびます。つまり、文化が観光場面で商品として売買の対象となり、文化の商品化が生じると、その文化は本来もっていた、そして観光客を魅了した価値や意味を失う、と観光学は考えるのです。文化がもつ本来の価値や意味は、文化の真正性(authenticity)といわれます。

 また、大衆観光による地域文化の衰退を説明する根拠として、観光のデモンストレーション効果(demonstration effect)という考え方があります。デモンストレーション効果とは、大雑把にいえば、低所得者の消費行動性向が高所得者の消費行動性向を真似る、という経済学の見方です。この見方が、観光にもあてはめられます。すると、観光地では低い経済水準の観光地住民が、高い経済水準の観光客の服装、所持品、生活様式などを真似るとみなされます。観光地住民は、観光客のカメラや時計といった所持品、服装などを欲したり、観光客用のレストランやバーなどにあこがれたりします。こうした傾向は、とくに若い観光地住民により多くみられるようになります。

 その結果として、観光地住民が観光客の近代的生活様式を自身の生活様式に好んで採り入れ、自身の地域文化を捨て去る傾向が現われる、と考えられるのです。さらに、とくに若い観光地住民は、近代的生活を求めて自身の地域社会を離れ、都会や先進国に移住していきます。かくして、観光のデモンストレーション効果は、観光地住民に観光客を魅了した自らの文化を放棄させ、場合によっては地域社会を崩壊させる事態さえ惹き起こすのです。こうした事態について、観光学は1970年代に多くの観光地における事例研究の結果を報告しています。

 ただし、観光が地域文化の変容や衰退をもたらさないケースもあり、逆に観光が地域文化を鍛え、文化の再構成文化の創造をもたらすケースさえあるという研究報告が、1980年代後半頃から現われてきました。たとえばバリ島の観光文化は、観光学でよく取りあげられる事例です。バリ島の“ケチャダンス”や“バロンダンス”といった有名な舞踏文化は、伝統文化をベースにして、1960年代に観光客用に創出されています。観光客用であった舞踏文化が、その後、住民の日常生活や宗教儀式などで演じられるようになる、つまり本物の文化になった、と考えられるのです。ちなみに、このような観光文化の新しい真正性は、創発的真正性(emergent authenticity)とよばれます。こうした観光と文化の再構成や創造との関係については、後に大衆観光に代わる新しい観光のあり方を紹介するときにあらためて説明します。

 今回は、大衆観光による文化の変容や衰退の原因を考えましたが、次回には大衆観光が観光地の自然や生態系を破壊してしまう原因を探ります。

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