観光労働とホスピタリティ | せとうち観光専門職短期大学|業界最先端の学術と実務を学べる

せとうち観光専門職短期大学

観光Web講義


安村 克己

観光労働とホスピタリティ

 今回は、観光事業で遂行される一般職従業員の仕事と、その仕事の基幹業務であるホスピタリティについて考えます。

 観光事業における仕事の総称を、観光労働work in tourismとよぶことにします。観光事業には営利事業から公益事業まで、業種や業態が多岐にわたり、当然、観光労働には多様な職種があります。しかし、観光労働の主要な業務にはホスピタリティがかかわっています。つまり、ホスピタリティ観光労働の基本的特徴をかなりの程度で決定しているといえます。

 観光労働の特徴を規定するホスピタリティとは、観光客を接遇するサービスとみなされます。そもそもサービスとは、前田勇立教大学名誉教授によれば、<私益-公益にかかわらず、利用者の役立つことを意図した職業的行為、さらにそのための仕組み>です。

 こうしたサービスの意味にたいして、前田勇は、ホスピタリティの語源からその後の使用法の経緯を辿り、ホスピタリティについて、<庶民が他者を歓待する自発的な無償の行為>という特徴を指摘しています。この特徴にしたがえば、サービスがビジネス用語として有償の経済的行為であるのにたいして、ホスピタリティは経済的行為から除外される無償の社会的行為であるとみなされるでしょう。

 しかし、ホスピタリティは、ビジネス活動を指示する用語として、その用法が定着しています。ホスピタリティがビジネス場面で重視されるようになり、またその言葉が日常生活においても使用されるようになった背景には、1970 年代初め以降の経済のサービス化という経済社会の構造的変動がありました。経済がサービス化するのに伴い、「ホスピタリティ」という言葉が、1990 年代から「サービス」に置き換わるように用いられ始めたのです。そうした経緯について、経済のサービス化という社会背景から少し振り返ってみます。

 『サービス産業動向調査年報 2018年』(総務省統計局)によると、サービス産業はGDPの7割を占め、就業者別の割合についても全体の約7割を占めています。このような数字にみられる日本経済のサービス化は、1970 年代初めから他の先進諸国と足並みをそろえ、石油危機という衝撃的な出来事を契機として今日まで拡大してきました。

 経済のサービス化に伴う産業構造の転換によって、社会の構造全体も変動しました。そうした社会変動を社会学者ダニエル・ベル脱工業化post-industrializationとよび、その変動から出現する社会を情報社会information societyと名づけました。情報社会とは、知識・情報・サービスが産業全体の中核的業態となり、社会全体にも普及する社会として特徴づけられます。情報社会の構造は、1990年以降、IT(情報技術)革命によって飛躍的に高度化しました。

 情報とともに脱工業化社会の構成要因とみなされるのが、サービスです。サービスも、1970 年代以降、情報化に伴って高度化し、その結果、経済のサービス化は、あらゆる業種に拡大しました。たとえば製造業でも、営業接客広報などといったサービス関連の業務や職務の占める割合が、現在まで拡大しています。さらに、サービス化は、個人の生活から社会全体、国際社会に至るまで拡大しました。こうしてサービスが社会全体に隈無く普及する状況から、情報社会は他方で、サービス社会とも呼ばれます。

 このようにして、経済のサービス化が拡大すると、「サービス」という言葉が日本社会に広く普及しましたが、1990 年代中頃から、「サービス」とほぼ同義の「ホスピタリティ」という言葉が、経済活動領域で使用され始めました。その後、前述のとおり、「ホスピタリティ」の言葉が、従来の「サービス」という言葉に置き換わるようになります。現在でも「サービス」という言葉は多く用いられますが、特にビジネス用語としては、ほぼ同じ意味で「ホスピタリティ」の言葉が多く用いられるようになっています。

 日本で「サービス」の呼称が「ホスピタリティ」に代わり始めた状況は、米国におけるホスピタリティ産業の発展に影響されたと考えられます。第二次大戦の戦禍から経済的に復興した日米欧の先進国に大衆観光が出現したなかでも、大戦の戦禍が比較的軽度であった米国では、いち早く1960 年代から観光関連産業が急激に発展して、それらがホスピタリティ産業と称されるようになりました。その後に、こうした動向の影響を受けて、「ホスピタリティ」や「ホスピタリティ産業」の言葉が、日本の観光事業観光研究で適用され始めます。その時期が1990 年代初めでした。

 日本で観光事業を中心に用いられたホスピタリティは、観光観光事業の発展とともに、いまや人口に膾炙する言葉となり、広く「サービス」という言葉に代わって使われ始めています。しかし、ホスピタリティの学術的な定義はいまだに多義的で曖昧です。また、ホスピタリティサービスとの定義の区別も明確ではありません。ただし、ホスピタリティの実際が多様な現実をみると、その概念の統一的な見方が困難である事情も、納得できます。

 それでも、あえてホスピタリティの特性を探るために、前田勇が指摘するサービスの2類型(前田勇『現代観光とホスピタリティ』学文社, 2007年)、つまり機能的サービス情緒的サービスの類型を援用すると、ホスピタリティ情緒的サービスの特性をもつ接遇である、とみなせます。

 ここで、一方の機能的サービスというのは、不特定多数のサービス利用者にたいして、サービス提供者がマニュアルどおりに提供するような、サービスの基本的タイプです。たとえば、公共交通機関やファーストフード店などのサービスにみられるように、機能的サービスでは、日常的な利用頻度が高く、提供者と利用者の対人接触度が低く、利用者にとってサービスを利用したり選択したりする自由度が低くなります。その結果、機能的サービスの利用者は、そのサービスについての反応や評価を相対的に重視しません。つまり、サービス利用者は、機能的サービスが全くなかったり、あまり酷かったりすると文句をいいますが、そのサービスがごく普通になされていれば、それほど不満を感じません。

 それにたいして、情緒的サービスは、特定少数のサービス利用者に、個々の利用者の期待や要望にできるだけ応じられるように提供されるサービスの基本タイプです。こうした情緒的サービスでは、たとえばラグジュアリーホテルや高級旅館のように、利用が特定されて利用頻度が低く、対人接触度が高くなります。その結果、情緒的サービス利用者は、提供されたサービスについて、厳しい評価や反応がなされがちとなります。

 こうしてみると、観光労働のホスピタリティは、情緒的サービス類型の特性をもつ、提供者による利用者の接遇と考えられます。このように情緒的サービスの密接な相互作用の特性を有するホスピタリティには、その提供者と利用者の相互に大きな情緒的反応が生じると考えられます。そして、その場面には、それぞれに身につけた社会関係人と人のつながり方)が反映されそうです。つまり、ホスピタリティが提供される場面には、提供者と利用者の間に、両者が身につけた社会関係が出会うことになります。

 ホスピタリティに社会関係がかかわりそうな出来事の一例について、こんな話をニュース報道でみた記憶があります。ずっと以前の日本がバブル景気の頃の話です。オーストラリアのビーチリゾートで、<日本人観光客は私たち飲食業従事者を蔑んでいるようだ>といった苦情が、当地のレストランのウエイトレスから寄せられたと報じられました。この苦情の原因を推測すると、ホスピタリティと社会関係とのかかわりが垣間みられそうです。

 オーストラリアや欧米などでは、レストランなどで客が、たとえばコーヒーを注文するさい“Coffee, please”といったり、コーヒーを店員から受けとるさいには“Thank you”といったりするのが、通常のようです。

 ところが、日本社会では全般的に、注文のときに「コーヒー」とだけいったり、コーヒーを店員から無言で受けとったりする客が多くいます。このような場面に、日本社会の特に都会の希薄な社会関係が投影されているのではないでしょうか?日本社会で業者と顧客の間には、<お客様は神様です>というような、いわば消費者至上主義の過度な顧客優位の社会関係の慣行があるように感じられます。

 このように、日本社会の希薄な社会関係を反映した飲食店での不愛想なやりとりが、前述のオーストラリア飲食店従事者には、<日本人観光客は私たち飲食業従事者を蔑んでいるようだ>と感じさせたのかもしれません。

 かくして、業者と顧客の相互作用には、両者のかかえる社会関係の慣行が投影され、とりわけ相互作用の密度が濃くなるホスピタリティの提供者と利用者の間では、両者のかかえる社会関係の性質がより大きく絡みあいそうにみえます。

 ビジネスにおけるホスピタリティには、とうぜん、その対価に代金が支払われるので、提供者は利用者の意向などに沿うよう努めなければなりません。それでも、ホスピタリティの提供と利用における両者のやりとりには、相互に尊重しあう社会関係の基盤が前提となるべきではないでしょうか。顧客がホスピタリティを提供する業者にたいして不遜な態度をとる状況には、もちろん顧客個人の性格にもよるのですが、同時に、顧客と業者の当人同士の身についた、地域や社会全体の社会関係の慣行もまた大きく影響するように感じられるのです。

 こうしてみると、ホスピタリティ・マネジメントの最重要課題は、関連のスキルやテクニックを磨くよりも、案外、地域や社会全体における相互に尊重しあえる社会関係を再構築することかもしれません。

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