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観光Web講義


安村 克己

持続可能な観光への歩みと観光学

 今回は、大衆観光に代わる新しい観光のあり方を探求した観光学についてみていきます。これまでの連載で、大衆観光の負の効果やかなり暗い部分が、これでもかというくらい浮き彫りにされました。もちろん、観光には明るいポジティブな影響力が、しかも世界の動向に影響を及ぼすような重要な威力があります。なにより観光は、人に“楽しみ”や“しあわせ”をもたらします。

 それでも、観光学は観光の暗い側面も、しっかりと分析しなければなりません。そのうえで、そうした観光の暗い側面を明るく変えるような実践を、観光学は議論していくことになります。そして実際に、観光学大衆観光に代わる新たな観光の模索と実践を探究してきたのです。観光学の誕生から1990年代末までの展開は、新たな観光のあり方としての持続可能な観光を追求する道程であったとさえいえます。

 大衆観光の負の効果を取り除き、大衆観光の形態に代わる新たな観光のあり方を模索する動向は、1970年代末頃からみられました。特に発展途上国において、大衆観光客を受け入れる大規模な観光開発をやめて、自国資本による小規模な観光開発をめざす動きが、自然発生的に散見されはじめたのです。しかし、そうした観光開発の多くは、発展途上国の経済的停滞によってやがて頓挫してしまいました。

 しかし、大衆観光の負の効果が増大し深刻となるにつれて、大衆観光に代わる新たな観光のあり方が、世界中でますます待望されるようになりました。そのとき、新たな観光のあり方の実践を主導したのは、WTO(World Tourism Organization 世界観光機関)でした。

 WTOは1975年に設立され、2003年に国連の専門機関として、UNWTO(United Nations World Tourism Organization 国連世界観光機関)となりました。いま新聞紙面などで“WTO”という略称をみたら、多くの人はWorld Trade Organization(世界貿易機関)を思い浮かべるでしょう。世界貿易機関のWTOは、1995年にGATTを発展解消して開設されました。観光のWTO貿易のWTOよりも4半世紀も前にできたのですが、同じWTOという略称になると、新しい貿易のWTO観光のWTOに取って代わる形となりました。このことについては、いろいろな意味合いが考えられそうですが、私の感想は差し控えておきます。

 さて、UNWTOによる新たな観光のあり方の探求に話を戻します。それを探求する方策の一環として、UNWTO観光学の構築を支援しました。それは、IAST(International Academy for the Study of Tourism 国際観光学術会議)創設の後援という形でなされています。IASTは、人類学、地理学、社会学などの分野で観光を研究する75名の研究者を招聘し、1988年6月にスペインのサンタンデルに事務局をおく、会員制の学術会議です。それらの会員は、現在にいたる観光研究の基礎を築いた錚々たる研究者たちです。

 IASTは、観光学の創設期における研究を先導し、観光研究の動向に大きな影響をもたらしました(IASTはいまも存続していますが、観光学の発展につれ、その活動は初期ほど影響力をもっていません)。このようなIASTが、1989年にポーランドのザーコパーネで第1回国際会議を開催しました。その議題は“Tourism Alternatives: Potentials and the Development of Tourism”です。つまり、「観光の[大衆観光に代わる]別な選択肢:観光の発展の潜在性」が議題でした。

 この会議の後に、IASTの影響力もあって、大衆観光に代わる新たな観光のあり方は、「オールタナティヴ・ツーリズム」とよばれるようになりました。日本語では「もう一つの観光」などと訳されたこともありましたが、即座に意味が分からないので、カタカナで表記されました(これでは、もっと分かりませんが)。ちなみに、それを私は「新たな観光のあり方」とよんでいます。

 大衆観光に代わる新たな観光のあり方を指示する用語は、ほかにもいろいろと提案されました。たとえば、“appropriate tourism 適正な観光”“responsible tourism 責任を伴う観光”“soft tourism ソフト・ツーリズム”[大規模な観光施設(ハード)を重視せず、観光対象の文化や環境(ソフト)を大切にする観光]といった具合です。“エコツーリズム”や“グリーンツーリズム”という言葉もこの頃から使われています。“sustainable tourism 持続可能な観光”という言葉もすでにありましたが、当初は注目されず、後に観光学で共通に用いられる用語になります。

 いずれの言葉も、新たな観光のあり方の理想像に託したい特徴の一面を表わしていますが、1980年代末から90年代末までの間に観光学において新たな観光のあり方を指示する用語は、ほぼ「オールタナティヴ・ツーリズム」に統一されました。この言葉は、繰り返しますが、21世紀になって「持続可能な観光」という言葉に置き換わります。

 実は、新たな観光のあり方が議題となった、前述のIAST第1回国際会議では、「オールタナティヴ・ツーリズム」という用語を観光学で用いることに否定的な論議がなされました。その理由は、「オールタナティヴ・ツーリズム」という言葉が、新たな観光のあり方の内容、つまり“実体”や“特徴”を明確に表わしていないからでした。ところが、皮肉なことに、その会議の議題が“Tourism Alternatives”であったため、その後、多くの観光学者が「オールタナティヴ・ツーリズム」の用語を使うようになったようです。この事実は、やはりIASTによる当時の観光学への影響力が大きかったことを意味するのでしょう。

 新たな観光のあり方の研究は、1980年代後半から次第に現われはじめました。大衆観光の負の効果を報告する事例ばかりでなく、観光開発によって、地域の社会・経済・環境がバランスよく活性化するような事例が、かなり頻繁に報告されるようになってきます。そして、1990年代に入ると、観光学では、大衆観光に代わる新たな観光のあり方として、オールタナティヴ・ツーリズムの研究が主流となりました。それは、小規模管理・統制された開発・運営開発・運営における住民の関与といった方針に特徴づけられる観光開発です。この新たな形態には、まさに大衆観光と逆の方針が採られたといえます。

 しかし、オールタナティヴ・ツーリズムという呼称は、前述のように、中身を表わさない空虚な言葉です。この言葉の「オールタナティヴ」には、<大衆観光に置き換えられるべき別の選択肢>という意味合いがあります。「オールタナティヴ・ツーリズム」は本来なら「オールタナティヴ・マスツーリズム」とよばれるべきだ、という観光学者もいました。いずれにせよ、それでは置き換えられる新しい観光の内容とは何なのか? その内容が、「オールタナティヴ・ツーリズム」の言葉には明らかにされていません。

 なにかとケチのついたオールタナティヴ・ツーリズムですが、それは21世紀になると持続可能な観光サステイナブル・ツーリズム)とよばれるようになり、やがて人口に膾炙する言葉となっています。このあたりの経緯は、次回にお話しましょう。

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