せとうち観光専門職短期大学 せとうち観光専門職短期大学

観光Web講義


多 昭彦

②観光地としての特別史跡平城宮跡

全国各地で緊急事態宣言等が発令されている中、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。私は職場と自宅を往復するだけの巣ごもり生活を余儀なくされております。今回は、過去の記憶から現在の思いを述べてみたいと思います。

奈良県奈良市の近鉄奈良線大和西大寺駅から最短で徒歩7~8分のところに「特別史跡平城宮跡(へいじょうきゅうせき)」は所在します。「最短で」と言ったのは、平城宮跡が東西1.3km、南北1.0km、面積約120haに及ぶ広大な土地(甲子園球場が約30個入ると説明されています。)であり、また、壁や柵等で仕切られておらず、あらゆるところに入口があるからです。つまり、駅から一番近い入口まで徒歩7~8分です。

奈良の文化財といえば、東大寺や法隆寺等の寺院建築や仏像彫刻などの美術工芸品等、仏教に関するものが有名で、これらを観光の目的として全国から多くの人が訪れます。かつて平城宮跡は、これらとは対照的に隠れた観光地でした。と言うのも、私が大学生であった1980年頃までは、そこに建物があったことを示す基壇が復原されているだけの広大な原っぱで、地域住民の生活や憩いの場であり、一部の歴史に興味がある人々が訪れる場所でした。

平城宮跡に関する研究は、江戸時代末までさかのぼります。北浦定正(歴史上の人物であるため敬称を略します。)の研究は有名で、「平城宮大内裏跡坪割之図」を完成させています。その後、著名な歴史学者である関野忠氏や喜田貞吉氏が研究を行っています。知る人ぞ知る歴史の宝庫ではあったのですが、このころはまだ観光地化していませんでした。

以前にも、史跡の公開・活用から整備への進歩について説明したことがありますが、この時代の公開・活用は、説明版を立てたり、一部基壇や礎石等を復原するのが一般的でした。国が土地を買い上げ、直接保存していた特別史跡平城宮跡にあっても、これらと同様に広大な原っぱの状態で保存されていたのです。

平城宮跡は奈良時代の政治及び行政の中心地で、今で言えば永田町と霞が関を合わせたようなところですが、奈良時代の都である平城京の中に含まれ、その最北端に位置します。もちろん平城京の一部ですから、東西南北に大小の道が整備され、今もその跡が残されています。これらは地域住民の生活道路にもなっていますし、また当時は、国による土地の買い上げも途上でしたので、一部で田畑も営まれていました。

その後、史跡の整備に重点が置かれるようになってきたことに伴い、国立文化財機構奈良文化財研究所(当時は、奈良国立文化財研究所)の復原研究の一環として、1998年に朱雀門(すざくもん)と東院庭園(とういんていえん)が復原され、平城宮跡を三次元で感じることができるようになったことに伴い、観光地化への第一歩を踏み出したと言えるでしょう。ただし、当時の課題として、これらの復原建物まで行くには交通の利便性が良くなかったために、急速な観光地化は見られなかったと記憶しています。その後、2010年に第一次大極殿(だいいちじだいごくでん)が復原され、現在は平城宮跡を国営公園としての整備する動きの中で、第一次大極殿を取り囲む回廊の復原工事が進められています。

西暦2010年は、710年の平城京遷都から1300年に当たる年であり、平城宮跡において、「平城遷都1300年祭」と名付けられた一大イベントが行われました。この時バス路線や宮跡内の移動手段なども整備され、全国から多くの観光客が訪れました。平城宮跡の環境を保全するための活動を行うNPO法人もすでに設立されて10年が経過しており、また、このイベントのために観光ボランティアガイドが結成されるなど、地域住民以外の市民も平城宮跡の維持・管理や解説・観光ボランティアとしての広報活動等に参加するようになりました。文化財の保存と活用や観光振興には、市民参加が必要で、かつ重要ですので、これはその好事例だと思います。

2018年3月、平城宮跡は「国営公園平城宮跡歴史公園」として開園し、今後、長きに渡り歴史公園として整備されることとなりました。平城宮跡は国の組織の中でも文化庁が所有し、管理する文化財ですが、その歴史公園的な側面や観光資源としての活用を国土交通省が担当することになりました。(早い話が、文化庁の予算では、この広大な敷地全体を整備・活用することは不可能であるため、国土交通省の予算を活用することになったものです。)

私は、開園の式典にも出席させていただき、その後もたびたび現地を訪れましたが、約40年の時間の経過と平城宮跡の様相の変化に戸惑い、複雑な心境でした。その一例として、公園内の移動手段にセグウェイがレンタルされていたことについては、「時代も変わったなァ~」と大変驚きました。私は、いかに観光地化されようとも、その場所やその文化財が育んできた歴史は、自分の足で歩き自分の目で見て自分の心で感じるべきものだと思っています。古代の都を思い、当時の人々の暮らしや人生を偲ぶ時に、セグウェイはないだろうと思ってしまう私はもうすでに、歴史の遺物のような存在なのでしょうか。

最後に平城宮跡に関する最近の話題です。2021年3月に奈良県、奈良市、近畿日本鉄道は平城宮跡周辺の渋滞対策として史跡公園内を通る近鉄奈良線の線路移設を盛り込んだ踏切改良計画を国土交通省に提出しました。合意内容は近鉄奈良線の高架化、地下化を含めた移設計画で、総事業費は約2000億円、2041年度の着工、2060年度の完成を想定しているとのことです。この近鉄線の線路は大正時代に敷設されたもので、当時、周辺は田畑でした。その後、土地が買い上げられ整備されたため、現在はこの線路が特別史跡内を通過しています。おかげで電車内からの眺めはとても良いのですが、反面、渋滞の原因や踏切事故の危険性からかなり以前から問題になっていました。移設されてすっきりした平城宮跡の姿を見てみたい気もしますが、男性の平均寿命から考えれば、それはまず無理でしょう。

← この教員の講義一覧へ戻る