接遇の実践-接遇の5原則「表情(笑顔)」
今回は、 接遇の5原則 「挨拶・表情・身だしなみ・言葉遣い・態度」の「表情(笑顔)」についてです。第4回で示した1980 年代の3冊の書籍『人に会うって素晴らしい』(初版・第2版)、『JALスチュワーデスのいきいきマナー講座』で著された内容を基本に、関連文献も交えながら、前回の「挨拶」と同じように現代とつながる形式知へのヒントが見つかれば、という思いで綴っていきます。
まず、項目が「表情」と変化する前の「笑顔」を2冊の書籍からみていきます。女性を最も美しく見せるのは「笑顔」、また「一銭もかからない高価なおしゃれ」とあります。それはどのような笑顔かといえば、「目がやさしいこと・心がこもっていること・健康であること」で、理想は「赤ちゃんの笑顔」と記されます。こうした表情・笑顔に関して、すでに明治時代初期に問題提起をした人物がいます。
笑顔と上機嫌ならぬ「顔色容貌の快活」を啓発したのは、福沢諭吉です。少し長いですが『学問のすゝめ』第17編「人望論」(明治9(1876)年発行・第1編出版は明治5(1872)年)から引用します。「人望論」第1「弁説を学ぶこと」に続く、第2「顔色容貌を快活にすること」からです。
「第二 顔色(がんしょく)容貌を快(こころよ)くして、一見、直ちに人に厭(いと)はるることなきを要す。[中略] 苦虫を嚙(か)み潰(つぶ)して、熊(くま)の胆(い)を啜(すす)りたるがごとく、黙して誉(ほ)められて、笑ひて損をしたるがごとく、終歳胸痛を患(うれ)ふるがごとく、生涯父母の喪(も)に居(ゐ)るがごとくなるも、またはなはだ厭ふべし。顔色容貌の活潑愉快なるは、人の徳義の一箇条にして、人間交際において最も大切なるものなり。人の顔色は、なほ家の門戸(もんこ)のごとし。広く人に交はりて来客を自由にせんには、まづ門戸を開きて入り口を酒掃(さいさう)し、とにかく寄りつきをよくするこそ緊要(きんえう)なれ。しかるに今、人に交はらんとして、顔色を和するに意を用ひざるのみならず、かへつて偽君子を学んで、ことさらに渋き風を示すは、戸の入り口に骸骨(がいこつ)をぶら下げて、門の前に棺桶(くわんをけ)を安置するがごとし。誰かこれに近づく者あらんや。」(講談社学術文庫)
次は、福沢の研究者でもあった伊藤正雄の現代語訳です。
「第二には、顔つきを明るくして、一見、人に不愉快な印象を与えぬことが大切である(この一文には傍点がありますが変換の都合上表示できていません)[中略]苦虫をかみつぶして、熊の胆をなめたようなしかめっ面も、はなはだ困りものである。まるで黙っていれば得をし、笑えば損がゆくかのようだ。年中胸の痛みをなやむがごとく、一生両親の喪に服しているような不景気な面つきを見るのは、誠に不愉快千万である。顔つきを明るく愉快に見せるのは、やはり人間のモラルの一条件で、社交上最も大切なことである。人の顔色は、いわば家の門口のようなものだ。広く人に交わって自由に客を招き寄せるには、まず門口を開放して、玄関を掃除し、ともかくも人を来やすくさせることが肝要であろう。人に交わるのに、顔色を和らげようともせず、かえって偽善者の風を学んで、わざとむずかしい顔つきを見せるのは、家の入口に骸骨(がいこつ)をぶら下げ、門の前に棺桶(かんおけ)をすえつけるようなものだ。だれが近づく者があろう。」(岩波現代文庫)
伊藤は、わざわざ冒頭部分に原文にはない傍点を振り訳しています。伊藤の思いも垣間見れるようです。憮然とした顔つきに対し、骸骨や棺桶などという手厳しい比喩も使っており、福沢は、このような心身の働きを顧みようとしなかった過去の日本人に対し、顔色容貌の活潑愉快 は人としての徳義の1箇条であり、大いなる心得違いであるから常に心にとどめ忘れないようにと書き置きます。伊藤の現代語訳でも「特に言語・容貌を研究すべし」とまではいわないが、「人間モラルの一要件」と考え、「なおざりにせず常に念頭においてもらいたい」とこの項を結んでいます。
「人間がどういう人に好感を持つのか」に関しては、世界中で多くの研究がなされています。今こうして綴っている「接遇の5原則」も、人から、つまり顧客から・上司から・友人から・同僚から・家族からというように、かかわる相手から感じよいと思われ、またお互いにとって良かれというのための項目であり、それを「接遇の5原則」として表わしているものといえます。
現代の笑顔に話を戻します。アメリカ人クリスティーン・ポラス『「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』(2019)『Mastering Civility:A Manifesto for the Workplace』(2016)からの研究事例です。ポラスは、第6章「礼節ある人が守る3 つの原則」の原則1に「礼節ある人は笑顔を絶やさない」(First Civility Fundamental:Smiling)を挙げています。
ポラス自身の20年にわたる研究主題は、組織に所属する人が「どのような人間になりたいか」でしたが、導かれた結論は「礼節によりなりたい人間になる」というものでした。つまり、「礼節」「敬意ある態度」は自分も、人も、組織も幸せにするということへの啓蒙です。 ポラスは、「礼節」に関する状況は、20年間でむしろ悪くなっている状況であり、出版された研究書籍は、ハウツーではない、それを変えたいという「宣言の書」(Manifesto)だとしています。
ここでは、職場の無礼さ「Incivility in the workplace」をなくすためのヒントとして、笑顔へのアプローチ例を紹介します。ポラスは、様々な研究者による過去の研究から、まず人間がどういう人に好感を持つかを調べました。200種類を超える人間の行動特性調査の要素から、特に重要な2つが、「温かさ」(warmth)と「有能さ」(competence)であり、良し悪しを問わずその2つで他人に与える印象が90%を占めるという結果に基づき、そこに自らの研究調査を重ね合わせています。そこで「温かさ」と「有能さ」の獲得のためにできることは、「礼儀正しく振舞うこと」(Be civil)だと結論づけます。
プリンストン大学のアレクサンダー・トドロフ教授らの研究で、「人が他人の顔を見て相手について瞬時に判断を下す際、その背後で認知機能や神経機能がどのように働いているか」の調査結果によれば、「温かさを判断する時間はわずか33ミリ秒」だと示されたそうです。「温かい」という印象のためには、まず些細な非言語コミュニケーションを使い、微笑みかけることや、人の話にうなずくことが必要で、それらは、仕事における評価の高さや信頼感にもつながるとしています。また何より「笑顔」を、そのための基本動作と位置づけています。
令和の現在、マスク着用でお互いの笑顔を見ることができない期間がすでに1年半以上になろうとしています。マスクは福沢が憤った「ことさら渋き風」の顔を隠すことができますが、同時に普通の生活から相互の表情、また相手にプレゼントできる笑顔も隠してしまいました。福沢は、「徳義」と表現しましたが、いつの時代も笑顔と上機嫌という徳、コンピテンスを発信できる人は、周りの人に安心を届け、また受け取ることができます。マスクを外せるまでの準備として、自分の中に笑顔の自分を見つける旅に出かけてみるのもよいかもしれません。