古代中国の儀礼書と「観光」の典拠とされる『易経』
今回と次回は、古代より洋の東西を問わず存在する儀礼に関する書物に注目し、現在の「国際儀礼」への糸口として探っていきます。今回は中国古代、東洋の古典からの概観です。また、「観光」の典拠は、五経の筆頭にも挙げられる『易経』からと言われます。筆者は易占の初学びの途上で、今だ経験不足な入門者の域を出ませんが、周易実占からの視座も含め綴っていきます。
古代中国前漢時代には、詩・書・礼・易・春秋を教学する五経博士が立てられました。礼の概念としては、三礼(儀礼・周礼・礼記)があったとされ、のちに礼に関して記録されたものの総称として『礼記』が成立します。下見隆雄『礼記』(平成17(2005)年)によれば、漢代以降の風習・慣行をまとめた『儀礼』の解説や、日常生活の礼式・理論・政治・音楽・学問という礼全般に係るものであり、それは「古代中国人の人生観や世界観が記述された百科事典とでも云えるもの」、「古代中国を支えていた精神文化の総集のような存在」であったとされます。
また儒家の経書は、『易経』を筆頭に『詩経』・『書経』・『春秋』・『礼記』の五経が挙げられ、その後南宋時代には、朱熹が『礼記』からの『大学』と『中庸』を『論語』『孟子』に加え四書とし、四書五経として儒家経典が形成されました。古代中国それぞれの時代で経書の変遷もあり、そうした漢籍や仏教文化が、遣隋使・遣唐使によりわが国にも伝来します。儒家および大乗仏教の精神を汲み、飛鳥時代の聖徳太子の「十七条憲法」や「冠位十二階」での礼、奈良時代には日本での「接遇」(観光Web講義「観光の懸け橋となる接遇」拙稿参照」)の言葉の初出とされる『律』も制定され、法制度や社会体制が整っていきます。経書としての四書五経は、江戸時代以降も修身・道徳等の日本の思想及び東洋の精神文化の基盤として影響を与えていきます。
中でも、五経の筆頭とされた『易経』(『易経』(平成29(2017)年)は、「東洋哲学の蘊奥を啓く書」とされ、唐時代の『貞観政要』(『貞観政要全訳注』(令和3(2021)年)などと共に、時代を超えた帝王学の書ともされています。『易経』は、長い時代をかけて編纂され、占筮が周の時代に盛行したことから周易とも言われます。後に付された十編の解説書として「十翼」があり、この「十翼」は、高田・後藤『易経』(平成29(2017)年)によれば、「孔子門流の学派によって成り、孔子の思想が含有されたものとみてよい」とされています。かつては日本でも、政治家やリーダーらが自ら易占を行っていました。現代ではリーダーの定義やあり方も様々で、その都度立ち上げられる「プロジェクトリーダー」や外務省のプロトコールの定義にも見られる「主催者」など、誰もが変動的にトップやリーダーを経験する時代となりました。『易経』は、今後も様々に活用され、易占としても実践されることでしょう。次に「観光」との関わりを見ていきましょう。
この講義の題目にもある「観光」の典拠は、『易経』の「観(風地観)」の爻辞にある「観國ノ光。利用賓于王。(国の光を観る。もって王に賓たるに利ろし。)」その象に曰く、「観國ノ光、尚賓也。(国の光を観るとは、賓を尚ぶなり。)」からとされます。六十四種類の卦の一つである「観(風地観)」は、「坤下・巽上」「観」「風地観」、英語では「Contemplation(View)」(Wilhelm Baynes 1977)など多くの卦名のついた一卦であり、卦辞(卦の意味)がかけられます。更に卦題の六つの局面を説明した爻辞(爻の意味)がかけられます。漢文での「観國之光」は、四爻の爻辞と象の中で説明され、卦辞・爻辞を読解した上で象の解釈も加わり、易占が導かれます。高田・後藤『易経』によれば、「観」は「示す、また仰ぎ観るの意」とされ、難しいのはこうした二つの解釈も含まれることです。「風地観」の爻には、洞察力(みる・しめす)の成長過程である「童観」「闚観」「観我生」「観國之光」「観我生」「観其生」という六つの変化を伴った「観」が示され、「観國之光」はその象伝(形の説明)として、「国の光を観るとは、賓を尚ぶなり」とあり、(君主から賓客のもてなしを受けて国事に力を致すがよろしい)とあります。
竹村亜希子『超訳易経陰―坤為地ほか―』(令和2(2020)年)によれば、「風地観」は、「形や物にとらわれずにものごとの本質を観る洞察力」のこととされます。爻の変化として、最終的に「観」が「観其生、志未平也」とあるのは、陰の勢いによりその存亡の兆しが確実であり、最初は闚観ているが、我が生を観、国の光を観る賓客をたっとび、君主として中正を失わず、民を観て君主として恥ずかしくないようにという変化を示しています。爻の最後では民に示すための君子の観がまだ志半ばであり、その「確実な衰えの兆しを察するのが風地観の時」と捉えられます。つまりそうした時・所・位の変化を俯瞰し、察することへの言及であり、「観國之光」という漢字やその部分だけを取り出すだけでは解釈にはつながりません。またその前に易占を行うことも必要です。つまり、易占により「風地観」の卦が導き出されたという経緯と事実が必要です。「観光」はそこからやっとつながる言葉です。
「観光」関連の論文やテキストで『易経』という出典は挙げられていても、その多くは詳しい説明が省かれます。例えば、「形而上」および「形而下」という言葉も出典が『易経』とされますが、その「道」と「器」について、帝王のためのみではなく、哲学と実占としての『易経』から見つけ出せる言葉や範囲は計りしれません。『易経』は、英語では「Book of Changes(I Ching)」で、一切の現象の流転変化の意味を解くことです。易という一名が三義(易簡・変易・不易)を含んでおり、その一つが変易と言われる所以です。
変化の意味を説く『易経』は、東洋だけでなく、西洋の哲学・数学者のライプニッツ、精神科医で心理学者のユング、作家のヘルマン・ヘッセら多くの研究者や作家が学んでいたことでも知られています。いずれも易占に通じていたとされ、『易経』から見つけ出し、関連付けた理論と実践双方からの研究や書物があります。次回は、西洋での古代の儀礼に関して概観します。