京都の名所案内記・『都名所図会』
前回は、旅の案内書である『旅行用心集』(1810)を取り上げました。今回は、各地の名所を紹介した「名所案内記」について触れたいと思います。
名所案内記は、現在でいう観光ガイドブックに相当するものです。実際には旅に出られずとも、家で眺めるだけで名所見物をした気分になることができる絵入りの大型のものや、モデルコースが紹介されるなど実用的であり、見物の際の持ち運びを想定した小型のものなど、さまざまな種類の案内記が出版されました。なかには、18世紀に出版されてから幕末まで何度も再版を繰り返し、出版され続けたものもあります。
世界的な観光ガイドブックの歴史をみると、1828年にドイツでカール・ベデカーによって、1836年にイギリスでジョン・マレーによって旅行案内書が出版されました。ヨーロッパにおける近代観光の流れのなかで出版されたガイドブックと、日本の伊勢参宮を背景とした旅の隆盛のなかで出版された案内記を単純に比較することはできません。しかし、18世紀の時点で既に多種多様な案内記が出版されていたということは、当時の旅文化が非常に成熟していたといえるでしょう。
話を江戸時代の日本に戻します。当時の旅人が、伊勢参宮を終えたのちに大和・大坂・京都での名所見物に向かうことは、既に触れた通りです。なかでも京都は、各宗派の本山が集中しており、西国巡礼の札所があり、文学作品の舞台となった旧跡も豊富で、天皇が住まう「都」でもありました。一生に一度の旅に出た旅人たちにとって、京都は是が非でも訪れてみたい場所だったに違いありません。
そんな京都を扱った案内記のなかで、最も著名なものは、秋里籬島による『都名所図会』(1780)ではないでしょうか。これは、6巻6冊の体裁からなり、本文を秋里籬島、図絵を竹原春朝斎が担い、京都の書肆(本屋)である吉野屋為八によって刊行されました。『都名所図会』の特徴は、名所を俯瞰的に描いた図絵だといえます。この図絵によって、旅に出ることができなくても、家に「居ながらにして」名所見物ができるということで人気が出てベストセラーとなり、各地で名所図会が作成・出版されるきっかけとなりました。
ここでは、暑くなってきたこの時期にぴったりの「名所」を紹介したいと思います。
上に示した図は、『都名所図会』で取り上げられた四条河原での夕涼みを描いたものです。現在も、夏になると鴨川沿いの飲食店では納涼床での食事を楽しむことができます。江戸時代には鴨川の中州に茶店が出たり、見世物小屋が立ったりしていました。当時の鴨川は、四条付近で左右に分かれ、その間が中州のようになっていました。また、現在に比べて河床が浅かったため、河川敷に降りやすかったようです(吉越昭久「京都・鴨川の「寛文新堤」建設に伴う防災効果」、立命館文学593、640-632頁、2006)。
この図絵では、西から東を俯瞰するように河川敷が描かれています。だいぶ細かく描きこまれているため、この図では見にくいかと思いますが、川沿いには床几が出ており、人々が川を眺めながら飲食を楽しんでいる様子が描かれています。西にある橋を渡って中州へ入ると、右手には「あやつり」と書いた幟が出た小屋が立っており、操り人形芝居を見ることができたようです。左手奥に進むと、「曲持ち」(手足、肩、腹などで重いものを持ち上げる曲芸)や、「早嵜」(軽業師)といった幟も立っています。その近くには、弓矢で射的を楽しんでいる人の姿もあります。鴨川の河川敷は、人々の集う納涼の場となっており、そこが「名所」として認識されていったことがわかります。
『都名所図会』をはじめとした名所図会シリーズからは、このように過去の名所の様子を知ることができます。こうして、「居ながらにして」京都の名所(しかも240年前の)に行ったような気分になることができるのが、名所図会シリーズの醍醐味だといえます。次回は、名所図会シリーズに比べて実用的な「小型案内記」を紹介したいと思います。