独自の発展を遂げた「島の文化」 秋祭り
前回のコラム、小豆島の「文化」農村歌舞伎に続き、今回は小豆島の秋祭りを紹介します。
祭りは普段の「日常」とは異なる、「非日常」の行事です。民俗学では、日常を「ケ」、非日常を「ハレ」といいます。祭りは典型的な「ハレ」の1つです。
小豆島の「祭り」は、島民が五穀豊穣を願い行なわれてきました。小豆島は雨の少ない瀬戸内式気候で周囲を海に囲まれた離島であるため、古くから農作物などの食物が豊富であるとはいえませんでした。島民は五穀豊穣を願い、神霊を招き入れ、島内各所に神社を建立して独自の「祭り」を行ってきました。現在も毎年10月11日から10月16日まで、小豆島内の6つの八幡神社にて秋祭りが催されています。今回は小豆島における「秋祭りの歴史」を説明し、小豆島の「文化と観光」がどのように関係しているのかを解説します。
まず、小豆島の「祭り」の由来を神話にさかのぼって、たどります。国生みについて、日本最古の神話である古事記(712年編纂)には「次に小豆島(あずきじま)を生みたまひき」と記されています。伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の夫婦神が淡路や伊予、筑紫など大八州に続いて6つの島を国生みし、その6島の2番目に小豆島(あずきじま)を国生みしたとあります。
日本書紀(720年編纂)には応神天皇と小豆島のことが記録されており、応神天皇は皇妃兄媛が吉備の国(現在の岡山県)に里帰りする際、難波(現在の大阪府)から出帆する舟を高台から見送りながら瀬戸の島々を望み見て「阿波施辞摩(あわじしま)、弥二並び(いやふたならび)阿豆枳辞摩(あずきじま)」と詠んだとあります。また応神天皇は阿波施辞摩(あわじしま)に狩りに行き、阿豆枳辞摩(あずきじま)に立ち寄り、吉備の国の葦守宮に入ったとされています。今でも小豆島には応神天皇の行幸に関係した地名や伝説が残されています。
日本最初の国立公園で日本三大渓谷美と称される寒霞渓は、応神天皇が「この山の岩やモミジに鉤(かぎ)を掛けて登られた」ことから「鉤掛山(かぎかけやま)」のちに「神懸山(かんかけやま)」となり、明治期に香川県出身の儒学者・藤沢南岳が「寒霞渓」と命名して現在に至っています。
小豆島八十八ヶ所霊場第54番札所宝生院には応神天皇お手植えの真柏(しんぱく・ヒノキ科)の樹があります。林学博士である本多静六が大正中期に行った調査研究によると、真柏の大樹は樹齢1500年以上と推定された研究記録が残されています。樹勢も旺盛な宝生院の真柏は樹高約20メートル、根元の周囲約16.6メートル、地上約1メートルのところで3方に分かれており、巨大な壮観を呈しています。
こうして、全国の八幡神社の祭神と同じく、小豆島の各八幡神社にも応神天皇が祀られています。
それでは、次に、小豆島の祭りの特色、そして観光との関係についてみていきます。小豆島池田亀山八幡宮の境内には「奉懸当社御祭礼之図」が保存されています。小豆島の秋祭りがいつから始まったかは定かではありませんが、「奉懸当社御祭礼之図」は1812(文化9)年に奉納されており、その頃に始まったのではないかと推測できます。
祭りの行事は神社が催す神事と住民(氏子)が執り行い楽しむものに大別されます。神事は御神体が神輿に乗り渡御をし、祭礼のときに本社と御旅所の間を行き来します。また、住民(氏子)は、神輿のお供として、山車(だし)、だんじり、太鼓台を伴い行列をつくり同行します。
小豆島の秋祭りは地区により特色があります。そのひとつ、10月13日の伊喜末八幡神社の例大祭では、現在も小海地区と滝宮地区の2地区がそれぞれ地元自治会や青年団による手作りの山車を奉納しています。祭りの約1ヶ月前から住民(氏子)が協力して山車を作り、祭りを迎えることで、住民同士の「絆」が育まれます。両地区の手作りの山車は、その年の話題になった人物や干支をモチーフにしたものを太鼓台の屋根に飾ります。その飾りが、祭りに訪れる観光客やマスコミの注目を集めるようになりました。
また私の地元である屋形崎地区では、祭りの前日(宵祭り)から、地区の男衆が祭りの弁当を作ることが習わしです。レシピのない弁当の仕込みや調理は、日頃から台所に立つことに不慣れな男衆にとって、1年に1度、祭りの時だけの「特別」であり、試行錯誤しながら行う弁当作りの準備から完成までの過程が、地域の連携を強くしています。
このような特色のある小豆島の秋祭りはメディアで取りあげられることで知名度が高まり、そのために、いまや多くの観光客が小豆島の祭りに訪れています。特に瀬戸内国際芸術祭のイベントをとおして、小豆島の祭りは広く社会に認知されるようになりました。メディアが特に注目したのは太鼓台を木造船で運んだり、太鼓台を勇壮にぶつけあったりと、各神社に奉納の仕方が異なり、それぞれに興味深い特色があることです。小豆島の秋祭りは新聞紙面やテレビ番組などだけでなく、近頃はプロやアマを問わず、多くのカメラマンも惹きつけています。
さまざまな祭りの特色があるなかで、例えば、10月16日の池田亀山八幡宮の祭りでは、神浦地区の太鼓台が手漕ぎ木造船(皇子丸)に乗って神社に到着します。褌姿の担ぎ手が勇壮に海に飛び込み、水しぶきをあげながら太鼓台を担いで船からおろし、神社へ向かいます。その担ぎ手の姿は必見です。その様子は「祭りの花」であり、地元住民のみならずメディアや観光客からの注目を集め、毎年、多くの人が拍手と歓声で太鼓台の到着を待ち受けるようになりました。
瀬戸内国際芸術祭2013では特別イベントとして、2013(平成25)年10月20日に道の駅大坂城残石記念公園にて、島民と観光客の交流を目的とした「北浦の太鼓祭り」が開催されました。小豆島北浦地区の4台の太鼓台を地元の担ぎ手が観光客と一緒になって太鼓台を担ぎます。このようなイベントをとおして、島民と観光客の一体感が生まれ、結びつきが強まりました。
今回紹介した小豆島の秋祭りの日程は、10月11日に葺田八幡神社、10月13日に伊喜末八幡神社、10月14日に土庄八幡神社、10月15日に富丘八幡神社と内海八幡神社、そして10月16日に池田亀山八幡神社で、それぞれ執行されます。各八幡神社の秋祭りは、だれでも見学できます。
(注意:コロナウィルス感染拡大の影響により2020年の小豆島の秋祭りの開催は未定です)
(参照:小豆島の秋祭り太鼓台、小豆島応神天皇ゆかりの地へ~ロマンを追い求めて~)