せとうち観光専門職短期大学

観光Web講義


堀田 明美

『ガラテーオ よいたしなみの本』 書籍紹介①

 今回と次回は、イタリア人ジォヴァンニ・デッラ・カーサ(1503-1556)が著した『ガラテーオ よいたしなみの本』(池田廉 翻訳、以下書名を省略し『ガラテーオ』とします)の書籍紹介として綴っていきます。日本語版は、昭和36(1961)年、春秋社より出版され、池田簾が翻訳しました。池田の研究ノートにあたる詳細かつ丁寧な論説「『ガラテーオ』についてのノート」が書籍最後に附され、このノートからも引いていきます。池田が底本としたのは、1558年のジェミー二本で、その他英語版として1958年ロンドンで出版されたペンギンクラシックスを参照したとあります。近年シカゴ大学からの英語版が2013年に出版され、そのタイトルはGALATEO or,THE RULES OF Polite Behaviorです。

 今回は、『ガラテーオ』出版の経緯や全体の概要を、次回は内容に関するあらましを池田簾の日本語翻訳版により紹介します。池田の論説「『ガラテーオ』についてのノート」によれば、イタリアで「あの男、ガラテーオを知らないな」といえば、それは「彼は礼儀を(わきま)えない」という意味であり、ガラテーオという人名から「礼儀の正しさ」や「身だしなみ」を意味する抽象名詞へと転化したことも記されています。

 『ガラテーオ』の出版は、ルネサンス終焉期の16世紀であり、印刷技術の発明に関して前講義でも少し触れたように、翻訳出版されたこの作品は、16世紀・17世紀のフランスの宮廷やサロンの紳士淑女たちにも装飾品のようにもてはやされたようです。書籍の出版や翻訳が当時のヨーロッパとどのような関係であったのか、そうした位置付けも池田によるノートや本文中の注釈で詳細に綴られています。多くの翻訳本が現れ、イタリアの良俗に関する書物は、フランス語からの重訳でその後せきをきったようにイギリスにも入っていったとあり、実際にイタリアの行儀作法を風刺するシェイクスピア『リチャード二世』からのセリフも紹介されています。また『ガラテーオ』は、宮廷人のためというよりむしろ一般の市民層を対象にしているところ、この時代屈指といわれる名文と評されたことなどは、これまでの書物とは違う大きな特徴だとしています。

 宮廷人から市民層へ、宮廷内から日常生活へ、そして文学の香りという要素を含んだ書物であり、よいたしなみが受け入れられていく、つまり気品ある生き方を自らが引き受けるという価値観を、未来に孕んだ作品として捉えられます。ルネサンスの終焉期という時代背景、人間中心主義的な自由な精神の後押しで生み出だされ、新しいジャンルとして編まれたとも言えましょう。

ジォヴァンニ・デッラ・カーサ 池田簾訳 1961『ガラテーオ よいたしなみの本』春秋社

筆者所蔵本 経年による表紙カバーの破損等があります。出版社(春秋社)より写真掲載許可を得ています。 

 『ガラテーオ』はどのように執筆されたのか。その概要を見ていきましょう。ローマ教皇庁の要職にあり、作家でもあったデッラ・カーサは、トレヴィ―ノ郊外ネルヴェーザの僧院に1550年から6年間引きこもった状態で『ガラテーオ』を執筆しました。このような背景には、政治的な論敵との確執による去就もあったとされ、池田は、デッラ・カーサの様子をかつてマキャヴェリ(原文ママ)が失意と閑暇の中で『君主論』を著したことに例えています。「滅びゆくルネサンスの理想主義的な文化の最後の担い手」として、「市民的教養を備える」ことを目的とした書籍であり、対話篇『廷臣の書』の著者カスティリオーネとともに、デッラ・カーサを「この最後の系列につながる文学者」だと紹介しています。「最後の系列」とは、「ほろびゆくルネサンスの理想主義的な文化の最後の担い手」という意味で、希のない統一イタリアの夢をいだきながら創作に精一杯の努力を傾けた人たちであり、また「ほろびゆく」とは、16世紀のイタリアが、ドイツ・フランス・イスパニアという外国勢力への対抗を余儀なくされ、国内の保全を固めるための政治的戦略も乏しかったということが含まれています。

 そうした中での執筆であり、ヨーロッパの絶対主義国家群で、イタリア国力の弱体化や、うわっつらだけの肩書がのさばり尊ばれていることを嘆き、日常の暮らしの中で役立ち、日常生活において、一人一人の人間がどのように振舞えばよいかという生活態度を解きほぐしながら、気持ちを込め教え物語った文学の小品です。池田は、典雅ながらも学者や貴族趣味を感じさせない市民的なもの、とその文章と内容を評しており、市民層を意識した日常のたしなみの実践を、多くの文献や経験からの比喩を用いながら明晰に著しています。

 この『ガラテーオ』という書名は、デッラ・カーサの友人ガレアッツォ・フロリモンテの名前をラテン語に言い換えて(Galateus 〉Galateo)(原文ママ)借用し、タイトルにしたものです。ガレアッツォは当時の宮廷社会に育った上品な文学者であり、第4章にも登場します。もともとはこの友人が「不作法について」書こうとしたものを、デッラ・カーサがその意思を引き継いで著したとされ、全体で30章(項目)の章立てになっています。縦書き本文の中で、目次だけが横書きです。次項のタイトルページには、このように記されています。

      ジォヴァンニ・デッラ・カーサ氏の記せる「ガラテーオ」一名「たしなみについて」と題  

      せるこの論文のなかで、ある青年をさとす無学の老人の話にことよせて、みなが日々の交友

      にあたって慎しみ、まもるべきいろいろの態度が論議される。

                                (デッラ・カーサ 1961:初頁)

 これまでのイタリアでは返り見られなかった「市民的教養」を、老人が若者を諭すという方法で始まります。第1章の冒頭は以下のとおりです。

      序にかえて。この書物で一体どんな内容を取りあげるかを解説する。「よいたしなみ」と

      ほかの美徳とを比べてみること。またこの本の知識がどんなにか役にたち、やさしく実行

      できるかを説く。

                                (デッラ・カーサ 1961:5)

 とあり、目次30章(項目)の内容は、役に立つよいたしなみの実行方法を説くためのもので、めったなことでないと役にたたない美徳などの徳性をあげるものではないとしています。続いて、以下のように始まります。少し長いですが、そのまま引用します。

ときに御存知のように、私はこの旅の、それも人生という旅路のほとんどをとっ

 くに過ごしてまいった男なのですが、それにひきかえあなたは、これから旅の準備

 にかかったばかりです。そこで心からあなたを愛している私としては、かねがね気

がかりに思っていることを、あれこれと教えておきたいとふと思いついたわけで

  す。言いかえれば、あなたがこの人生をくらしてゆくうえで、じきにつまづいたり、

道を踏み誤ったりしそうな要所々々を、いささか経験をつんだ人間として、いろ

 いろお話してまいりたいと決心したのです。[中略]さて私の話といいますのは、人

と交際したり、交友を結んだりする機会に、つねにたしなみよく、好ましく、ま

 た折目正しい人であるためには一体どうしたらよいかということなのです。事実、

 こうした「たしなみ」ということは、美徳そのものとも、あるいは美徳によく似た

 ものとも考えられます。[中略]気持ちのよい礼儀作法とか態度や物腰や、言葉遣い

 の品のよさは、こうした魂の偉大さとか自負心とかと較べてみて、結構身につける

 人の役に立っているのです。というわけは、交際する以上、日夜人と話し相手をす

 る必要が生じますので、こうした「たしなみ」のほうは毎日幾度となく実行するこ

      とになるからです。これにひきかえまして、正義とか堅忍不抜とか、また同じような

      高邁で偉大な徳性のほうは、めったな事でないと現実に役立てられません。

                               (デッラ・カーサ 1961 : 5-7)

 引用の2行目「それにひきかえあなたは」とある「あなた」とは、池田の注では、デッラ・カーサの甥にあたるアンニバーレ・ルチェッライのことで、若い甥を思い浮かべながら語りかけるという方法を取ったようです。「徳性や倫理性」に対する「市民的教養(たしなみ)」とは、同じ美徳として変わらない価値ではあり、前者は重量感としては「たしなみ」を凌駕します。しかし、実生活での実践ということになれば、「たしなみ」はその数や頻度の点で、そうした重量感を優に追い越すものだとし、その重要性を説くところから始まっています。人として実行できるたしなみを持つということは、その価値や上品さがその人に現れるものだと確信してのことであり、そのためのきめ細やかな項目が、以下30章挙げられています。なお原典には目次やサブタイトルはなく、目次の章題はその後1558年のジェミー二版を参考に、便宜上翻訳者の池田がつけたものだと記されています。

 第1章 「たしなみ」の大切なわけ、第2章 「中庸」にふるまうこと、第3章 無作法な行為のいろいろ、第4章 ガラテーオ氏登場、 第5章 食事のさいの不作法、 第6章 会話ちゅう(原文ママ)の不作法、 第7章 服装は土地の習慣に従うこと、 第8章 つむじ曲がりと気むずかしや、 第9章 もの柔らかな態度、 第10章 意気地なしとめそめそした人、 第11章 会話の技術について、 第12章 夢の話ほどばかげたものはない、 第13章 ほらふき、てらい、ニセの譲遜、 第14章 儀礼とは何か、 第15章 おべっか使い、 第16章 慣習には従え 第17章 うわっつらの儀礼、 第18章 陰口、おせっかい、あらさがし、 第19章 あざ笑いとひやかし、 第20章 洒落と駄洒落のちがい、 第21章 長い物語りをするには、 第22章 言葉の選び方、 第23章 話術についての二、三の注意、 第24章 おしゃべりと黙りやと、 第25章 よいたしなみは若い時から、 第26章 美について、 第27章 感覚ばかりでなく知性からも、 第28章 節度は大切、とくに服装は、 第29章 食卓での不作法、 第30章 さらに多くの不作法を戒める            

                               (デッラ・カーサ 1964 :1-2)

 これらの項目は、現在でもまた当時の一般市民にとっても日常ですぐに役立つ内容です。宮廷人などを目指す市民層にとっては、よいたしなみの指南書として、また高貴な地位の人々にすれば我が身を振り返るようなことや自分たちの知らない世界を垣間見れるような興味深い内容であったと思われます。

 ルネサンス終焉期とその後の16世紀から17世紀に入った頃は、イタリアで書かれた礼儀作法書が多く見受けられますが、イタリア以外、例えば『ガラテーオ』より20年ほど前に書かれたオランダ・ロッテルダムのエラスムス『子供の礼儀についての覚書』など、宮廷人以外のために書かれた作法書もヨーロッパでは著されていました。子どもの教育のため、また『ガラテーオ』のように日常のたしなみを老人が若者を諭すという形態のものなど、様々な礼儀作法書が見られます。つまり個人の礼儀作法やたしなみから生まれる社会や社交が意識されつつあった時代だったと言えます。ノルベルト・エリアスは、後にこうした現象に関し、様々な社会構成の人々がさらに上の社会参入を目指す、つまり文明化のための礼儀作法という捉え方をしています。その観点に関してはまた別の機会での考察とし、今回は『ガラテーオ』の書籍紹介に留めます。

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