信仰と娯楽の名所見物
前回は、旅人の属性による見物行動の違いについてお話ししました。具体的に振り返ると、広範囲の名所を網羅的にめぐる知識人に対し、庶民の行動は定型化され、訪れる名所や経路に共通性がみられました。今日は、庶民の旅人が共通して訪れた、京都における「主要な名所」、つまり京都に来たらどうしても訪れたい名所について、旅人たちがその名所を重要視した背景について取り上げたいと思います。
前回も挙げたように、庶民の旅人の7割が訪れた名所は、清水寺、北野天満宮、知恩院、東本願寺、大仏、三十三間堂、伏見稲荷、内裏、西本願寺、黒谷、祇園社、吉田神社、真如堂です。これらの名所のうち、標準のフォントで示した場所は知識人の7割が、太字で示した名所には知識人の6割が訪れています。そのため、庶民層の旅人に特有の名所とはいえません。一方、赤字で示した内裏(京都御所)に訪れた知識人は5割以下であるため、内裏については庶民の関心が高い名所だということができます。
庶民の旅人による旅日記をみると、彼らは内裏のなかにある白川家を訪れ、守札などを購入するといった行動をとっています。このような行動は「禁裏参り」と呼ばれており、これを検討した研究もあります(高橋陽一(2001)「多様化する近世の旅―道中記にみる東北人の上方旅行―」歴史、97、105-133)。人々は台所の水で身を清めたのちに裃に着替え、屋敷内へとあがり、人によっては内侍所で神楽をあげます。そして、代金を払って盃を受け、節分の豆や御守を頂戴するといった流れだといいます。これは、ほかの寺や神社でおこなう行動と非常に類似しており、内裏への訪問も「参詣」といえ、信仰の対象であったことが窺えるのです。
内裏への訪問が内裏(禁裏)への信仰を背景としていたと考えると、ほかの名所についても説明をすることができます。清水寺は観音信仰、北野天満宮は天神信仰、伏見稲荷は稲荷信仰、祇園社は祇園信仰の中心となる寺社であり、知恩院は浄土宗、東西本願寺浄土真宗の総本山です。庶民層の旅人の見物行動の背景には、信仰的な側面が多分に含まれていたといえます。 ですが、「禁裏参り」はただ信仰に根差したものだけではありませんでした。第1図は、『拾遺都名所図会』の図絵です。ここには、内裏に参内する公卿と、それを見物する人々の様子が描かれています。右下には、「ひかき御茶屋」と書かれた天秤棒を担いでいる男がいます。茶釜もちゃんと描かれており、この茶屋は、内裏を訪れる人々相手に商いをしていたことがわかります。庶民層の旅人による内裏への訪問は、信仰を背景としたものといえますが、それだけではなく娯楽的な側面もあったといえるのです。
これはほかの寺社でも同様です。清水寺にも音羽の滝の下には茶屋があり、滝の水で冷やした素麺を食べることができました。祇園社には二軒茶屋という茶屋があり、茶屋の娘がリズミカルに豆腐を刻む姿が名物となっていました(第2図。図絵には、オランダ人がそれを見物している様子が描かれています)。庶民層の旅人の行動の背景には、信仰が強くあったと考えられますが、それだけではなく、名所においては娯楽的な楽しみもあったといえます。