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観光Web講義


谷崎 友紀

はじめに

 この「旅と観光の今昔」では、江戸時代の旅の実態や、目的地となった伊勢、京都、さらに金毘羅参詣の様子について、当時の旅人が記した「旅日記」や、ガイドブックの役割を果たした「案内記」を紐解きながら紹介していきたいと思います。

「観光」とは、いつから始まったものでしょうか。「観光」の定義にもよると思いますが、一般的には、近代以降の現象であるといわれています。「観光」とは、楽しみを目的とする旅行であり、誰かに強制されるのではなく、自ら進んで旅行をすることを指します。また、貴族や僧侶といった特権的な階級の人だけではなく、一般の人々が参加するものです。

 日本における旅の歴史をみてみると、民衆による旅が隆盛したのは江戸時代であるといえます。しかし、当時は各地に関所が設けられており、通過するためには手形が必要でした。現在のように、国内を自由に旅行することはできない状況であったといえます。しかし、そのなかでも人々が旅に出ることを許される場合がありました。社寺参詣と湯治です。

 江戸時代に入ると伊勢信仰が全国的に広まり、伊勢神宮は日本に住む人々の総氏神であるという考え方が浸透するようになりました。それによって、伊勢参宮を目的とした旅を幕府や各地の領主が禁止することはありませんでした。この伊勢参宮は、「楽しみを目的とする旅」ではなく、信仰を背景とした旅ということになります。しかし、当時の人々の旅は伊勢参宮をして終わりではありませんでした。参宮を終えた旅人の多くは、伊勢から直帰するのではなく、高野山へ立ち寄り、大和・大坂・京都をめぐってから帰路につきました。なかには、西国巡礼や四国巡礼をおこなったり、金毘羅参詣をしたり、安芸の厳島神社や周防の錦帯橋まで足をのばしたりする者もいました。

「江戸時代の旅の概観図(武蔵国出立を例として)筆者作成

 高野山への参詣や西国・四国巡礼は、伊勢参宮と同様に信仰を背景に持つ社寺参詣を目的とした旅と解釈することもできます。なかには、強い信仰心を持って純粋に参詣をしていた者もいるでしょう。しかし、当時のさまざまな資料をみていくと、多くの人々にとって旅は宗教的な要素だけではなく、娯楽的な要素を多分に含むものであったことがわかります。人々は当時「名所」となっていた社寺をめぐってさまざまな宝物を見物し、芝居見物をし、その舞台となった場所を訪れ、土産物を買い求め、土地の名物を食べていました。これらの行動は、私たちがよく知っている現代の観光と変わらないものだといえます。人々は、宗教的な行動である伊勢参宮を建前として、本音では娯楽的な旅を楽しんでいたのです。

 ただし、留意すべきなのは、人々がいくら観光的な行動をとっているとはいえ、やはり現代や近代以降の観光現象とは社会的な背景や人々の価値観が異なることです。先に述べたように、自由な移動は制限されており、旅に出るためには「伊勢参宮」(もしくは社寺参詣、湯治)といった建前が必要でした。当時の人々は現代人の私たちよりも信心深いため、その「建前」も100%ではなく、当時の旅は「信仰」と「娯楽」が入り混じったものであったと考えられます。また、街道の整備が進み、中世に比べると旅が安全になったとはいえ、交通機関が発達した後世と比べるとまだまだ旅には危険が伴いました。なかには旅の途中で盗賊に襲われたり、病気になって行き倒れて故郷に帰ることができなかったりした旅人もいます。

 このような状況を鑑みると、江戸時代の旅は「観光」の前段階と位置付けられます。現在の観光現象や観光の未来について考える際に、こういった過去の「観光現象」の実態や変化を理解しておくことで、観光の根底にあるものを捉えることができるはずです。

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