自宅での「もてなし」とパーティー
今回は、自宅でのもてなしとパーティーに関して考えてみます。
「もてなし」の実践である「接遇」の基本は、自宅に客人を招くことを想定し、その一連動作の流れから始まります。それら動作の項目内容に関しては、本稿2021年連載第1回「観光の懸け橋となる接遇」の、『文部省調査中等學校作法要項解説』(昭和8(1933)年)「接遇の心得」16項目で、詳しく記しています。
もてなしの基本である自宅での接遇対応において、一人もしくは少人数への接客と、多数の客人を一度に招き飲食を伴うパーティーでは、その状況設定が違うかもしれません。しかし、ここではそれら内容のノウハウというよりは、双方向のもてなしや、ホスピタリティの発揮ということで、共通する心持ちに関して綴っていきます。
以前、宴会やパーティーでのマナーに関するセミナー時に、「皆様はパーティーに行く方(招かれる方)と、招く方とどちらがお好きですか?」と尋ねたことがあり、「行く方」だと想定し「お招きされる方が好きな方」と尋ねましたら「・・・・・」、次に「招く方が好きな方」と尋ねましたら「・・・・・」、2つの質問への無言の間が続きました。日常的に自宅に人を招かない習慣が、いつの頃からか根付いてしまったのだと思った瞬間でした。コロナ禍以前の事ですが、アフターコロナの今なら、なおさらかもしれません。
自宅に人を招かない、パーティーをしない理由は、多く考えられます。例えば、家が狭い・部屋が片付いていない・事前の掃除が嫌い・料理が不得意・お花の用意など室礼が面倒・後片付けが不得意・会話が続かない・ホストやホステスをすること(接待)に慣れていない・着る服がない・面倒・招きたい気持ちはあるがそもそも時間の余裕がない・外国の方だと語学が問題・そして家族が、などです。
そうしたことに加え、都市部では多くの人が集合住宅で暮らしており、自宅の狭さという問題もあります。地方であっても、郊外での田舎暮らし以外は、例えば日本建築の良さである縁側、軒先、路地などの内と外との中間のような場所がない、また西洋建築でも人が行き交えるアプローチ、ピロティ、パティオ、テラスなど、土地の狭さゆえ、人と緩やかに関係できる場所が少ないという課題もあります。マンションやアパートの生活では、玄関ドアを開ければ、ほとんどプライベートの生活に直結という空間です。そうした住環境も重なってか、人を自宅に招かない、招けないことに一層拍車がかかっているように思われます。
元来、ホスピタリティ・もてなし・おもてなしの言葉は、西洋でも日本でも、客人歓待、異邦人の受け入れ、蘇民将来子孫家門、主客一体など共通した概念から発しており、招く人と招かれる人との関係性を示す言葉でもあります。筆者がこれまで様々な形態の住まいにおいて、比較的気軽に人を招いてきた理由は、大人が楽しそうに実家を訪れていた筆者の子ども時代の家庭環境、またこれまでに国内外問わず多くの方が招いてくださったことからの学びや感謝という経験があったからだと思います。例えばパリでは、ベトナム人夫婦の埃一つない清潔なアパルトマンでのお茶に、またフランス人の女友達の小さな部屋での夕食に、カナダ・モントリオールでは、友人宅滞在中のホームパーティーはしごの日々、オーストラリア・シドニーでは、元同僚がオーストラリア人の夫の家族と引き合わせてくれたパーティー、フライト中のアブダビでは、当時の現地支店長夫妻がフライトクルー全員を自宅に招き、奥様がランの花をテーブル花としてあしらった魅力的なウエルカムをして下さったり、というふうです。地位や役職に関わらず、また公私にわたり歓迎し、尊敬と共に人と人を引き合わせていただいた経験は、どの国のどの方へも今だに感謝ばかりの忘れられない思い出です。
現在、四国新聞連載中の桒原さやか「北欧スタイル―自分流に楽しく―⑤」「感謝の伝え方」では、北欧ではありがとうの気持ちを表す一番のお礼は、「家に招待すること」とあります。こうした「ありがとうの気持ちを表す」だけでなく、実際に招いていただいたパーティーのお招き返し(返礼)をすることは、プロトコール(国際儀礼)の一つでもあります。招き返すことができない旅の途中でのご恩と感謝は、いつか違う方にお返しする、というふうに考えてきました。
招待を受けた中で、印象に残っている小さなパーティ―があります。カナダの友人の友人(若い女性)が主催者(ホステス)でした。筆者との直接の面識はなく、友人と共に招かれたのは一人住まいの狭い家で、入口近くにベッドルーム、奥の台所とそのそばにソファーという2部屋だけだったと記憶しています。彼女はまずコート姿の客人たちをベッドルームに通し、「コートはこのベッドの上にそれぞれ広げて置いてね」と案内しました。コートルームのない家(アパート)でしたが、さりげなく上手に狭いスペースを使っていました。客人が来るたびに、冬のコートが何枚も整然とベッドの上に置かれていき、あとはこちらへとキッチンでのアペリティフとアペタイザー、指でつまめるカナッペでの気楽なパーティ―となりました。次々訪れる客人に、笑顔でテキパキと2つの部屋へのエスコート対応をしているホステス役の彼女を見ているだけで、幸せな気持ちになりました。「狭いからではなく、狭いけれどぜひ」という、もてなしの気持ちが伝わる心地よい時間でした。外はモントリオールの寒い冬だとは思えない温かな雰囲気に包まれ、ここにもっと立派なご馳走があればとか、ホスト役がいないとか、コートルームがないなどと考えた人はいなかったでしょう。温かな受け入れ(ウェルカム)と、お越しくださり、そしてお招き下さりありがとう(感謝)の双方のもてなしのマインドセットさえあれば、自宅でのもてなしも、パーティ―もいつでも楽しく整うはずです。いろいろと課題のあるプライベート空間において、双方が「~にもかかわらず」からの発想のシフトを楽しむことが大切でしょう。
クリスティーン・ポラスの『Think CIVILITY「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』では、人の行動特性の中で他人に与える影響が最も強いものが「温かさ」と「有能さ」だと論じています。それらは、わずか33ミリ秒でわかるとし、この2つの印象をつなげるための礼節の重要性を指摘しており、良好な人間関係に繋がるためのヒントが多く示されています。
パーティ―での立ち居振舞いに関しては、「もてなし」の次に予定している新たな連載、「プロトコール(国際儀礼)」の文献からも紐解いていければと考えています。