SDGsの問題点と持続可能な観光
今回から2回にわたり、SDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)の、私が考える疑問点と、その疑問点を考える手がかりとしての持続可能な観光(Sustainable Tourism、以下STと略)とを考えいきます。SDGsは、「エスディージーズ」と読むそうです。近頃かなり話題になっているので、皆さんもこれを耳にしているでしょう。SDGsのなかには「持続可能な観光(ST)」の言葉が、あとでみるように4箇所でてくるのですが、私が思うに、持続可能な世界の実現について、STはSDGsで想定される以上の意義をもち、実際に持続可能性の目標を達成しています。このことについて、私の解釈をお話しします。
今回はまず、持続可能な開発(以下SDと略)の理念が提唱され、その後にSDGsが提唱されるまでの経緯を振り返りましょう。これまでにも何度か触れましたが、SDの考え方は1987年環境開発世界委員会(WCED)の報告書で提案され、その理念の実践が1992年リオ地球サミットで世界の公約となりました。以来、SDは世界中で人口に膾炙する言葉となりました。
しかし、SDへの期待が世界中で高まったリオ地球サミットの興奮は、すっかり冷めてしまい、その後、SDの言葉が独り歩きするだけで、その実践はほとんどなされませんでした。リオ地球サミットから10年後の2002年ヨハネスブルグサミット、さらにその10年後、リオ地球サミットから20年後の2012年リオ+20(国連持続可能な開発会議)が開催されましたが、持続可能な世界は、一向に実現されていません。それどころか、世界の持続不可能な現実はますます深刻になり、世界中の人びとが身近に実感するようになっています。
SDの考え方にたいしても、様々な見地から多くの人たちによって批判されてきました。たしかに「持続可能な開発」(Sustainable Development)という言葉は多義的で曖昧なので、この言葉は再考を要します。しかし、持続可能性という考え方や持続可能な世界を構築する実践は、さらに徹底的に議論されるべきだ、と私は考えています。というのも、持続不可能な世界への動向がもはや予断を許さない事態となっているからです。
それなのになぜ、SDの実践が滞るのか?それは、世界が、そして世界をリードしようとする国連が、「持続可能な」という言葉を冠しながらも現行の開発のあり方にこだわっているからだ、と私は思います。というのも、開発が資本主義市場経済を機動力とするかぎり、どんな開発も、たとえそれを「持続可能な」の言葉で飾っても、持続不可能な現実を増幅するばかりだからです。だからといって、念のためにいえば、私はかつての社会主義や共産主義を再考しようというのではありません。
それでは、持続可能な世界はどのように実現するのか?この難問は、先延ばしにして、いまは国連が主導するSDの疑問について引きつづき考えます。SDの疑問を国連の場で端的に訴えた人は、ウルグアイ国第40代大統領(2010年3月~2015年2月)ホセ・ムヒカでした。ムヒカは、2012年リオ+20のスピーチでSDのあり方に疑問を呈しました。その疑問は私のSDへの疑念と一致します。
ムヒカのスピーチは、国連の場では聴き手が少なかったようですが絶賛され、その後、世界各国の言語に翻訳され、SNSなどで世界中の人びとに知られて大評判となりました(スピーチの全文は、佐藤美由紀『ホセ・ムヒカの言葉』双葉社に掲載、pp. 3-11)。ムヒカは2016年に来日しています。
ムヒカが、リオ+20の場で、挨拶の後、SDに疑問を投げかけたスピーチの冒頭部分を次に引用します。
……頭のなかにある厳しい疑問を声にださせてください。/午後からずっと話されていたことは、「持続可能な発展[開発]と世界の貧困をなくすこと」でした。けれども、私たちの本音は何なのでしょうか。/現在の裕福な国々の発展と消費モデルをまねすることなのでしょうか。/西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億人~80億人の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。/なぜ私たちはこのような社会をつくってしまったのですか。/市場経済の子ども、資本主義の子どもたち、つまり私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会をつくってきたのです。/市場経済が市場社会をつくり、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。/私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。/……/現代に至っては、人類がつくったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。/私たちは発展[開発]するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。…… ([ ]と太字は、本講義の筆者による。)
ムヒカによるスピーチの上に引用した一部分だけにも、SD、資本主義、市場経済、グローバル化などの問題点が、簡潔に指摘されています。世界の貧困解消は、世界の自然保護とならんで、SDの主たる目的です。しかし、ムヒカのいうとおり、現行の開発の理念や実践方法では、SDによる弥縫策を多少取り入れたところで、世界の貧困解消も自然保護も解決されません。SDという開発は、持続可能性をもたらさないのです。
開発から生じた問題をさらなる開発の推進によって解決しようとする弥縫策を批判して、哲学者ボードリヤールは「成長による成長の治療」と表現しました。まさにその通りで、開発による開発の治療は、当面の綻びを繕うにすぎず、時が経てば、その綻びはますます重症化してしまう可能性が大です。SDが従来の開発とは全く別物であれば、また話は違いますが、ムヒカの指摘どおり、SDはただ現行の開発の延長線上にあるようです。
ムヒカの国連での問題提起にもかかわらず、国連も世界各国も、SDの実践方法を立ち止まって考えることはありませんでした。21世紀を迎えるにあたり2001年9月国連ミレニアムが開催されてミレニアム宣言が採択されましたが、その宣言でも、ムヒカが示唆した開発の根本的問題、つまり開発が破壊を生みだす問題はしっかりと議論されませんでした。
ミレニアム宣言では、2015年までに達成すべき8つの目標、MDGs(Millennium Development Goals ミレニアム開発目標)が掲げられました。8つの目標は、国連広報センターの標語によれば、目標1 極度の貧困と飢餓の撲滅/目標2 初等教育の完全普及の達成/目標3 ジェンダー平等推進と女性の地位向上/目標4 乳幼児死亡率の削減/目標5 妊産婦の健康の改善/目標6 HIV、エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止/目標7 環境の持続可能性確保/目標8 開発のためのグローバルなパートナーシップの推進、となっています。これらはいずれも、世界が改善すべき重要な目標ですが、その根本的な実践の戦略や方策は議論されていません。
そして、MDGsを拡充し、2030年までに達成すべき目標として掲げられたのがSDGsです。SDGsは2015年国連総会で、我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ(Transforming our world: the 2030 Agenda for Sustainable Development)として採択されました。それは、17の目標と、それぞれの目標に割り振られた169のターゲットから構成されています。
SDGsの17の目標は、国連広報センターの標語によれば、次のとおりです。目標1 貧困をなくそう/目標2 飢餓をゼロに/目標3 すべての人に健康と福祉を/目標4 質の高い教育をみんなに/目標5 ジェンダー平等を実現しよう/目標6 安全な水とトイレを世界中に/目標7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに/目標8 働きがいも経済成長も/目標9 産業と技術革新の基盤をつくろう/目標10 人や国の不平等をなくそう/目標11 住み続けられるまちづくりを/目標12 つくる責任つかう責任/目標13 気候変動に具体的な対策を/目標14 海の豊かさを守ろう/目標15 陸の豊かさも守ろう/目標16 平和と公正をすべての人に/目標17 パートナーシップで目標を達成しよう。
これらの目的にも、SDの意味は曖昧です。SDGsは、MDGsと同様に、世界の持続不可能な課題やその解決への期待を掲げていますが、それら目標に向けてSDをどのように実践するか、という肝心な議論が十分になされていません。また、SDGsの宣言と17の目標のなかで、宣言33、また目標8、目標12、目標14のそれぞれのターゲットに、持続可能な観光(SD)の言葉がみられますが、そこに持続可能な観光(SD)の本質がきちんと汲みとられている、と私にはとても思えません。
今回は、SDGsが提起された経緯を振り返りました。ここで紙幅がオーバーしてしまったので、持続可能な観光がかかわるこの続き、STとSDGsの関係については次回にお話しします。