絡みあう現代観光と高度近代化 後半
今回のテーマ「絡みあう現代観光と高度近代化」の前半(第12回)では、現代観光が高度近代化によって大衆観光として生みだされた状況を中心にみました。後半(第13回)は、その後に現代観光が、高度近代化に抗うかのように、持続可能な観光にかたちを変えた状況を考えます。
まず、現代観光と高度近代化が絡みあう特徴を確認するため、前回を振り返ります。
現代観光は、高度近代化による豊かさを主要因として、大衆観光のかたちで生みだされました。大衆観光は高度近代化の産物です。この高度近代化は、先進国の経済的豊かさと同時に、先進国と、さらに各国を越えて世界中に多くの弊害をもたらしました。高度近代化によって惹き起こされた弊害とは、地球規模の環境問題と南北問題、さらには個別社会でも、地域の伝統・文化の喪失や社会関係(人と人のつながり)の切断といった問題です。これらの高度近代化の弊害は、大衆観光によって観光地の地域社会にも同様に発生します。大衆観光によって高度近代化の弊害が生起した観光地は、高度近代世界の縮図といえるのです。
こうした高度近代化と大衆観光の関係を、前回(第12回)に提示された図1で見直しましょう。その関係は、図1の左半分にみられます。高度近代化によって大衆観光が生みだされた関係は、高度近代化から下に向かう矢印で表わされています。そして、高度近代化と大衆観光から、持続不可能性問題が「惹起」した状況もみられます。持続不可能性問題とは、文字どおり、地球上の人間世界も自然世界も将来に破滅してしまうような、人間世界が生みだした危機です。図1には、①自然・生態系の破壊、②経済格差、③伝統・文化の喪失、④社会関係の切断という4つの問題があげられています。
高度近代化から生じた、地球規模の持続不可能性問題は、1960年代後半いらい今日まで解決されず、解決どころか持続不可能性の危機は増幅しています。世界では、図1の上段の矢印にあるように、国際機関や市民団体や学術団体などが、高度近代化のあり方を様々なかたちで批判し、いろいろな解決策を世界中で講じてきましたが、それらの議論は全くといえるほど成果をあげていません。
しかし、現代観光は、図1下段の矢印に示されたように、高度近代化の産物である大衆観光の形態を、持続可能な観光の形態に変え、観光による持続可能な地域社会の形成を、限定的にせよ実現しました。持続可能な開発が国際的なスローガンになる以前から現代観光は持続可能性の考え方を実践してきたといえます(第6回)。1970年代から現在までの観光学による研究成果も、持続可能な観光を体現することに貢献してきました(第2回)。
さて、ようやく後半の本題に入ります。
持続可能な観光の実践には、2つの経路があります。いずれも、1980年代初め頃から異なる起源で取り組まれました。
一方は、UNWTOから各国政府、各国自治体へというような、トップ-ダウン型アプローチの実践経路です。この経路は、図1の下段に、大衆観光にたいする(←)持続可能な観光という流れで示されています。
もう一方には、地域の住民が主導して、各国の自治体や政府、UNWTOにさえもの開発政策に影響をあたえるような、ボトム-アップ型アプローチがあります。この経路は、図1の中段右半分にある観光まちづくりに表されています。
持続可能な観光のボトム-アップ型アプローチは、とくに先進各国の周辺地域、つまり都市の周辺に位置し、開発から取り残された地域、高度近代化の影響が比較的小さな地域で、みられようになりました。しかも、それらの事例が日米欧の遠く離れた各地でほぼ同時期に生起しています。このような動向は、日本で観光まちづくりとよばれます(第11回)。観光まちづくりも、1980年代に日本各地で同時期に、相互に連絡を取り合うわけでもなく、自然発生的にみられるようになりました。興味深いことです。
UNWTOが主導したトップ-ダウン型の持続可能な観光は、国連主導の持続可能な開発政策に取り込まれ、いまやSDGsの一環となって役割を担っています(第9回)。しかし、このトップ-ダウン型の持続可能な観光は、現代観光の実践した持続可能性の追求がもつ本来の成果を十分に活かせていない、と考えられます(第10回)。現代観光の関係者は、とくにUNWTOの主導のもとに、大衆観光の弊害を克服するために新しい観光形態を模索し、エコツーリズムなどのオールタナティヴ・ツーリズム(AT)を実践し、ある程度の成果をあげました(第6回)。
ところが、ATが持続可能な観光とよばれるようになると、その持続可能な観光の実践は、持続可能な開発政策に組み込まれて、現代観光が創りだした本来の持続可能性の実践を見失ってしまったようです。なぜ、そうなってしまったのか?それは、私が思うに、持続可能性を実践した現代観光のメカニズムが的確に解明されなかったせいです。これは、観光学の怠慢といえるかもしれません。
現代観光が大衆観光にかえて生みだした持続可能な観光本来の実践は、自然発生的な観光による地域振興の現実にこそみいだせます。たとえば、コミュニティ主導型観光開発(Community-Based Tourism Development: CBTD)は、その起源です。観光による地域主導の持続可能な地域振興は、CBTDの派生型と考えられます。そうした地域振興の一例である日本の観光まちづくりには、観光による持続可能性の実践メカニズムが、明確に読み取れます。その実践メカニズムは、第11回に提示した図2のように表されます。
かくして、観光まちづくりの現実から読み解かれる地域社会の持続可能性は、地域内の経済、社会関係(人と人のつながり)、伝統・文化、そして人間生態系(人が関与し人と自然が一体となった生態系)といった主要な社会構成要因が、バランスよく相互に連関しあうような状態によって成り立つと考えられます。
また同様に観光まちづくりの成功事例をみると、その成立の要件として、当該の地域社会が都市社会よりも農山漁村のように自然の基盤のうえに成り立っている、という前提が看て取れます。つまり、持続可能な社会の成立には、人間による加工度の低い、つまり高度近代化の浸透度が比較的少ない、自然により密着した地域の存立基盤が大前提となりうるのです。実際、当初に成功と評価された観光まちづくりの事例には、農山漁村や、後背地に自然が広がる地方小都市が多くみられます。
このように、地域社会の経済、社会関係、伝統・文化、人間生態系という4つの社会構成要因のバランスに、観光まちづくりの実践がどのようにかかわるのかをみてみましょう。
- 1. 観光まちづくりは、観光によって地場経済の波及効果を活性化する。そのさい、観光客が地域内を回遊して消費するような工夫がなされるなど、できるかぎり地域全体に経済効果の波及するような、循環型経済モデルが地域内に構築されている。
- 2. 住民が協働する観光まちづくりでは、その実践について住民が集まり協議する過程で社会関係が深まり、地域の強固な社会関係資本(social capital)が形成される。
- 3. 観光まちづくりにおいて、地域の伝統・文化は、重要な観光対象となるので、住民はそれらを地域の大切な資産として保護したり、ときに再発見したり、さらには伝統にもとづいて新たな地域文化を創造したりする。
- 4. 観光まちづくりでは、地域の自然・生態系、とくに人間生態系の風景などが、伝統・文化と並んで重要な観光資源となるので、住民はそれらを地域の大切な資産として保護する。
このとき観光は、地域社会の経済、社会関係、文化、人間生態系という、4つの主要構成要因すべてを活性化し、かつそれぞれの構成要因を相互に結びつける触媒となりうるのです。こうした観光の機能こそ、持続可能な観光にそなわる機能にほかなりません(第8回)。
持続可能な社会の構図は、おそらく、地域社会を包含する個別社会全体にも敷衍できそうです。ただし、観光まちづくりにおいて、地域社会の構成要因に作用した持続可能な観光の機能が、個別社会に同様に作用しうるとは考えにくいでしょう。それでも、持続可能な観光の特徴と、それを活用する地域振興の実践とは、人間社会の持続可能性を考えるさいに多くの手がかりを与えるはずです。
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これまで本講義では、現代観光の出現と、それを研究する観光学の形成を紹介してきました。現代観光のかたちが、観光学もかかわって、大衆観光から持続可能な観光へと変わってきた経緯についても考えました。この一連のテーマについては、今回でいったん終えることにします。
次回からは観光学の個別テーマをとりあげ、それぞれの研究成果を解説していきます。是非とも本講を引き続き覗いてみてください。