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観光Web講義


安村 克己

観光まちづくりと観光地域づくりの違いとは? 後半

 前回は、<観光まちづくりとは何か>について、その出現の経緯と、それが有する特徴について考えました。今回は、観光まちづくりの現代における意味をさらに探り、その結果をふまえて、観光地(域)づくりと、それを実践するDMO観光地域づくり法人)についても考えてみます。

 前回にみた観光まちづくりの特徴からさらに考えをめぐらせると、観光まちづくりが時代の動向の中で有意味な本質をもつ、と考えられそうです。わたしが思いつく、問題を多発させる高度近代文明に抗い、持続可能性をめざす新たな文明を予感させるような、観光まちづくりの3つの本質を以下に取りあげてみます。

 第一に、‘観光まちづくり’は、地域住民が主体となった実践という意味で、日本社会では特に、未曾有の、新しい、創造的な社会現象です。

 かつてみたことのない、この現実を表わす‘観光まちづくり’という言葉は、21世紀になって初めて使われだしました。観光まちづくりの実践がスタートしたのが1980年代初め前後、その現実が世の中に知られ始めたのが1990年代以降ですから、それまで観光まちづくりの実態には名前がなかったことになります。

 ‘観光まちづくり’の名称は、21世紀初頭の観光政策審議会などで使われ始めましたが、審議会にかかわっていた西村幸夫氏が、観光まちづくり研究会編『観光まちづくりガイドブック』(財団法人アジア太平洋研究所、2000年)で、すでに観光まちづくりの考え方と実践方法を提示しています。そのガイドブックによれば、観光まちづくりの定義は、「地域が主体となって、自然、文化、歴史、産業など、地域のあらゆる資源を活かすことによって、交流を振興し、活力あふれるまちを実現するための活動」ということです。

 この定義にあるように、観光まちづくりは、交流を振興する、つまり観光を活用する地域振興であり、一方で新たな観光振興と、他方で新たな地域振興のあり方が結びついた、という特徴を有しています。新たな観光振興とは持続可能な観光振興のことで、また新たな地域振興とは内発的地域振興のことです。つまり、地域住民の主導によって実践された、持続可能な観光振興内発的地域振興の合体が、観光まちづくりということになります。

 観光まちづくり以前の地域振興は、中央政府の地域政策のもとでなされてきた、といえます。第二次大戦後の地域振興は、全国のインフラ整備の課題もあり、全国総合開発計画(第一次(1962年)から第五次(1998年、21世紀の国土のグランドデザイン)まで、中央の主導で実践されました。2009年以降は、国土総合開発計画にかわる国土形成計画が策定さています。1970年代に地方の時代が謳われたこともありましたが、中央政府主導による地域振興の発想は、かたちをかえながらも、いまだに変わりません。

 従来の地域振興では、企業誘致や外部委託の大規模観光開発などといった、地域の経済成長を重視する、外発的開発が主流でした。それにたいして、観光まちづくりは、住民主体の内発的地域振興として、また持続可能な観光による地域の文化、自然・生態系、社会関係などにも焦点をあてた持続可能な地域振興として、従来にない、創造的な地域振興の形態といえます。

 第二に、観光まちづくりのスタートと、後にその成功事例が評価され、それらと同様な取組の日本全国に広がった時期とが重要であると考えられます。それは、日本の全国各地で、相互に申し合わせるでもなく、ほぼ同時期に一斉に出現しました。1970年代末から1980年代初めにかけてのことです。

 日本に出現した観光まちづくりは、スタートから10年以上が過ぎて、各地の成果がようやく認知され始め、次第にメディアに取りあげられると、1990年代後半に日本全国で注目される出来事となりました。この時期には、バブル景気に浮かれた経済状況が1990年初めに失速し、その後の90年代後半には、社会全体に多くの不況の深刻な影響が及び、その混乱で日本中に阿鼻叫喚とさえ形容できそうな経済状況となりました。

 バブル景気の崩壊後、日本経済は‘失われた10年、’その後もさらに10年とつづく不景気となりました。1980年代半ばからバブルの好景気に浮かれた、とくに大都市部が1990年代にすっかり気落ちした事態を尻目に、観光まちづくりで住民が元気になった地域が注目されました。それらの地域は、限界集落化した農山村や、経済成長に乗り遅れて衰退した小都市などです。

 国内から海外に目を移すと、1990年代は、経済のグローバル化、IT化、金融化などによって、世界経済が大きく変動しました。先進国の経済は、1970年代に物価上昇と景気後退が同時に発生するスタグフレーションに悩み、80年代にも日本を除いて世界が経済の停滞に陥りました。そのなかで、米国のレーガン政権とイギリスのサッチャー政権が民営化や規制緩和を推進する新自由主義的な経済政策を実践し、その流れを受けて、激動する世界経済が出現したのが90年代でした。その間に、社会主義経済の崩壊、新興中進国の躍進とその罠、などといった様々な経済的出来事がグローバルに出現しました。

 世界経済が激動するのと同時に、1970年代以降、国際的に深刻な問題となったのが、地球規模の環境問題です。世界的な不況だとはいいながらも、規模が拡大する経済活動は、自然・生態系を破壊し、様々な環境問題を惹き起こしました(これらについては、本講義の第7回と第8回あたりで触れています)。

 80年代に他の先進国が不況に喘ぐなかで、膨大な貿易黒字をかかえ、世界のなかで一人気を吐く、バブル景気に湧く日本が、一転して躓いたのが前述のバブル崩壊でした。世界で経済が激動し、環境問題が深刻化するなかで、日本のバブル景気が崩壊した、そんな状況で生まれ出てきたのが、観光まちづくりです。

 第三に、観光まちづくりは、第二の特徴であるその出現の時期とも関連して、世界の高度近代化に抗う動向、また、それに関連して世界が持続可能性を追求する動向に位置づけられる社会事象という特徴をもつ、と考えられます。

 ここで高度近代化というのは、資本主義市場経済による経済成長を原動力として、個人の生活と社会の制度を変化させる推進力です。かつて近代化の推進力である経済成長は、進歩発展とみなされましたが、どうも経済成長は、たとえば社会関係の喪失や自然生態系の破壊のような深刻な副作用を生みだすので、進歩発展として手放しで喜べそうにありません。それどころか、人間世界を含め自然世界を崩壊させてしまう懸念さえ警告される事態になっています。このような高度の近代化が世界に拡張し、その結果として、高度近代文明が世界を席巻したといえます。

 こうした世界の状況のなかで、実は、1980年代初めに世界中で、観光まちづくりと同様な取組みが、とくに先進諸国の周辺地域でも多くみられるようになりました。周辺地域というのは、大雑把にいえば、高度近代化や経済成長を遂げた中心都市部から取り残され、それゆえに‘近代化にそれほど汚されていない’ので、自然が残り、伝統文化が伝えつづけられるような地域といえます。米欧諸国の周辺地域に出現した、観光まちづくりと似たような取組は、たとえばトランジションタウンエコヴィレッジなどです。

 観光まちづくりのような動向が、世界中で、しかも高度に近代化した社会の周辺地域で発生した現実には、その背後に高度近代化に対抗する人間世界の力学があるのではないか、とわたしは感じています。そして、観光まちづくりに具現する、この人間世界の力学が、近代文明に代わる新たな時代の文明を築く嚆矢となる現象ではないか、とも感じています。

 こうして観光まちづくりの本質についてみると、やはり観光まちづくりは、高度近代文明に取り残された地域が、高度近代化とは異なる地域活性化の途を切り拓いた、高度近代化文明に抗う動向のようにみえてきます。

 さて、このように、わたしが執着する観光まちづくりにかわり、日本政府が2015年から推進し始めたのが、DMOによる観光地域づくりです。観光地域というのは、観光地を地点とすると、その周辺にまで観光をひろげようとする範域を指すようです。英語でいえば、tourism destination(観光地)とtourism destination area(観光地域)となります。

 そして、この観光地域づくりを担うのが、DMODestination Management / Marketing Organization)です。日本語では、観光庁観光地域づくり法人とよんでいます。DMOは、もともと北米などで長い歴史をもち、文字どおり、観光地の合理的な経営管理やマーケティングを手がけて、効果的・効率的な観光地(域)の開発や運営を実践する組織です。また、1980年代半ば以降、先進国の観光地では、コミュニティや住民の参加の重要性が議論され、その重要性がDMOの実践に反映されています。さらに、21世紀になると、持続可能な開発の理念も、DMOによる観光地(域)開発の重要なテーマとなっています。

 こうした海外でのDMOの活動を日本に取り入れ、日本の観光地(域)の開発や運営を合理的、効果的、効率的に推進しようとしたのが、日本版DMOでした(いまは‘日本版’のことばははずされています)。観光庁は、DMOを次のように説明しています。<地域の「稼ぐ力」を引き出すとともに地域への誇りと愛着を醸成する「観光地経営」の視点に立った観光地域づくりの舵取り役として、多様な関係者と協同しながら、明確なコンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するとともに、戦略を着実に実施するための調整機能を備えた法人です>。

 こうした定義をみると、一見、観光まちづくりDMOによる観光地域づくりは、同じようみえます。実際、観光まちづくりと観光地域づくりの違いが、論じられることはあまりありません。

 しかし、DMOによる観光地(域)づくりの主目的は、観光地(域)が‘稼ぐ力’をつけて、地域の観光客入込み数と観光収益性を増やすことです。その点で、DMOは、<利潤の追求を目的とする経済組織>としての企業であると考えられます。実際、観光地域づくり法人には、DMCDestination Management Company)の形態もあります。

 このように、DMODMCは、ブランディングやマーケティングの経営戦略を策定し、KPIやPDCAサイクルの経営手法を駆使して、地域の観光振興をめざします。そうした観光地域づくりの主目的は、地域が観光によって‘稼ぐ力’をつけることだとみなされるのです。

 もちろん、多くの人たちにとって、DMOが観光で地域に‘稼ぐ力’をつけ、地域経済を活性化することに異論はないはずです。わたしも、観光立国によって日本経済を盛り上げようとする、DMOによる観光地域づくりに水を差すつもりはありません。ただし、観光地域づくりは、地域住民の理解をえたり、地域の文化や自然を保護したりすることを強調しても、従来型の観光開発資本主義的な発想と共通しています。

 この点で、観光まちづくり観光地域づくりは、おそらく異次元の社会現象であり、これまでみたように、それぞれの現象の出自が異なっています。観光まちづくりは高度近代化に抗う、持続可能な地域社会の実現を予感させる現象ですが、観光地域づくり資本主義的な発想で、たとえば地域間や都市間の競争を引き起こすような、高度近代化を支える現象となりそうです。

 なによりも両方の大きな違いは、観光まちづくり住民主体で実践された、という事実だと考えられます。地域を魅力的にする、「住んでよし、訪れてよし」(歴史学者の故・木村尚三郎氏が都市観光まちづくりをめざして語ったことば)の地域振興は、その地に暮らしその地をよりよくしたいという、地付の人たちによってしか実現されません。

 ただし、観光まちづくりの実践においても、そのよりよい効果をめざして観光地域づくりの経営戦略や経営手法を適用しようとするかもしれません。その結果、観光まちづくり観光地域づくりと重なりあい、区別がつかなくなってしまう、そんなことも起こりえます。社会科学が研究対象とする社会現象の展開とは、そんなものかもしれません。

 社会から高い評価をえてきた観光まちづくりのある事例が、平成の大合併によって、広域の自治体に吸収合併された結果、その観光まちづくりの実践が自治体の地域政策に取り込まれ、より効果的な経営手法の導入などによって、それまで頑張ってきた住民の、観光まちづくりへの情熱がすっかり失せてしまった、という話を同僚から耳にしました。わたし自身がそれを現地で確かめてはいませんが、ありそうな話です。

 住民による創造的な観光まちづくりの実践が、DMOによる観光地域づくりと並んで、今後とも持続可能であることを、わたしは願ってやみません。

 今回は、わたし個人の所感が多く、説明も十分ではなかったので、DMOと観光地域づくりにわたしが後ろ向きだという印象をもたれたかもしれません。いずれにせよ、観光地域づくり観光地域づくりが今後どのように展開するにしても、それぞれの現状をしっかりと捉える必要を感じます。

 次回は、観光労働とホスピタリティについて、考えたいと思います。

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