『京城勝覧』にたどる京都見物
前回は、大型の案内記であり、名所を俯瞰的に描いた図絵が特徴的である『都名所図会』を取り上げました。今回は、小型で持ち運びに適した「小型案内記」について紹介したいと思います。
京都を取り上げた小型案内記は、9点(内容が重複しているものを除くと7点)確認されています。そのなかでも、小型案内記と嚆矢といえるのは貝原益軒の『京城勝覧』(1706)です。益軒は、福岡藩士でありながら、本草学者・朱子学者でもあり、『養生訓』を著したことで有名な人物です。彼は、6年間の京都遊学と、24回の京都訪問という非常に豊富な京都経験を持っており、藩主からも京都について尋ねられるほどの「京都通」でした。この京都における長年の経験と知識が、『京城勝覧』を編纂する土台となったと考えられています。
では、『京城勝覧』の中身を見てみましょう。ここでは、17日間のモデルコース仕立てで名所を紹介しています。洛中(当時の京都の市街地)の名所だけは、モデルコースより先に項目が立てられており、冒頭に取り上げられているのは、「内裏」(現在の京都御所)です。
当時の京都の玄関口は、東海道の終点である三条大橋でした。三条大橋周辺と六角堂周辺には旅籠が集中していたといわれており、これらの場所が旅人たちの名所見物の起点となったと考えられます。『京城勝覧』も、第1日目は三条小橋(三条大橋のやや西)からコースが設定されています。図1は、その第1日目を紹介した箇所です。紙面の上半分には、名所の由緒などの説明文があり、下半分には名所とその周辺が描かれています。
天明年間(1781-1789年)に再刻された際には、ルビを増やしたり、表記揺れを修正したり、挿絵を描き直したり、巻末に三条大橋から名所115ヶ所への距離一覧を追加したりといった改良がなされました。以降、『京城勝覧』は幕末まで刊行が続けられたため、1706年から150年ほど売られていたということになります。前回も少し触れましたが、世界的にみてもこれだけ長期間出版が続いたガイドブックは稀であるといえます。
では、『京城勝覧』の紹介している名所が、どのように分布しているかをみてみます。図2は、『京城勝覧』に記載された名所を地図化したものです。モデルコースの序盤に紹介された名所は赤色で、中盤は黄色や黄緑、終盤に紹介された名所は緑色で示しています。これをみると、東山の名所がモデルコースの序盤に、中盤には嵯峨や北野天満宮周辺、終盤に鞍馬・貴船や石清水八幡宮周辺、大原などが記載されていることがわかります。これらのモデルコースの距離を測った研究によれば、1日の移動距離は、最短で約16km、平均30km弱、最長は40km前後のようです(金坂清則「『京城勝覧』とその旅」、石原潤・金坂清則・南出眞助・武藤直編『領域と移動』、朝倉書店、2007年(264-280頁)所収)。
当時の人々は、旅に出ると1日30~40kmは歩くので、このコース自体は実現不可能なものではなく、十分に現実に即しているといえます。また、第1日目に東山の名所をめぐるコースが設定されていることから、江戸時代の京都見物を考える際に、東山は非常に重要な場所であったことがわかります。
京都観光をする際には、江戸時代のガイドブックを手に、当時のモデルコースを歩いてみるのも一興かもしれません。