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谷崎 友紀

旅の案内書『旅行用心集』

 前回は、伊勢参宮の流行の背景に御師の存在があり、伊勢参宮はシステム化された旅であったことを紹介しました。今回は、旅の隆盛とともに刊行された、旅に関わる出版物について取り上げたいと思います。

 江戸時代は、旅文化が隆盛した時代でもありますが、出版文化も非常に発達しました。そのなかで、旅に関連したさまざまな書物が出版されました。街道や旅先の様子を描いた地図や、「名所案内記」と呼ばれる現在で言うガイドブックや、旅をするための案内書などです。今回は、その旅の案内書について紹介したいと思います。

 文化7(1810)年、八隅蘆庵による『旅行用心集』(1810)が出版されました。これは、旅に出る際に必要な情報や、注意事項などを記したものです。例えば、冒頭には東海道と中山道(木曽路)の宿場間の里数(距離)が絵入りで記されています。当時は夜に移動をすることは危険であり、日が暮れぬうちにその日泊まる宿へ入る必要がありました。そのため、次の宿場までどれくらいの距離があるのか、その日のうちにどこまで進めるのかを把握しておくことは、旅人たちにとってとても重要でした。

 ほかにも、毒虫に噛まれた時の対処法や、足が疲れた時に効くツボ、船や駕籠に酔った時の直し方といった旅の役立つ情報だけでなく、「出水(洪水)の際はどんなに小さな川でも渡ってはいけない」、「山道の一人旅の際には竹杖で音を立てて獣に襲われないようにするべし」といった命に関わる注意事項や、「他国の人の言葉を笑ってはいけない」、「道連れが増えると揉め事になることが多いので5~6人までがよい」などの旅の心得が記されています。

 私が興味深いと思う項目は、狐狸に化かされた時の対処法です。紙面の都合上原文を参照しませんが、ここでは、「狐や狸に化かされ、道に迷ったり、昼が夜になったり、川がないところに川ができたり、門がないところに門ができて道が閉ざされるなどの怪奇が起きた時は、煙草を呑んだり休んだりして心を落ち着け、もと来た道を考えてみなさい」といったことが記されています。当時の旅人には、天候や川越や毒虫や獣だけではなく、狐や狸に化かされ山の中で道に迷う危険もあったようです。このようなことが旅の案内書に記されていることからも、江戸時代の時代性が浮かび上がります。

 『旅行用心集』には、他にもさまざまな注意事項が記されており、江戸時代の旅が現代に比べていかに困難であったかがわかります。現代では、少なくとも国内旅行に関して「旅行の仕方」などという本は存在しません。江戸時代の旅は、「旅行」ではなく危険の伴う「旅」であったともいえます。しかし、裏を返せばこのような旅の案内書が出版されていることからも、江戸時代は旅慣れていない人でも旅に出られるような状況が想定された社会であったともいえます。伊勢参宮の隆盛により、人々が「一生に一度」の旅に出る時代であったからこそ、このような本の需要があったのです。

 次回は、名所見物のための案内記(ガイドブック)の紹介をしたいと思います。

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