友田二郎の『エチケットとプロトコール』①
第6回と第7回では、友田二郎 1964 『エチケットとプロトコール―個人礼儀と公式儀礼―』から、書籍タイトルにあるエチケットとプロトコールに関して考察します。
ヨーロッパにおいて『ガラテーオ』が一般の人々に向けたよいたしなみの啓蒙書の先駆けだとすれば、友田の書籍は、日本人と外国人とを結ぶ国際的な儀礼を実務的・実践的に編んだ、画期的な書物だと言えます。
今回は、戦前・戦中・戦後における友田の略歴、書籍の概要、書籍目次から、そのあらましを綴っていきます。『エチケットとプロトコール』からの略歴によれば、友田は、大正4(1915)年外務省に入省、第1次・第2次大戦にいたる間、パリ・ロンドン・の各大使館、マルセイユ・リオンの領事館に勤務します。その後10年程外務大臣秘書官を務め、終戦直後に退官の後は、外務省研修所の講師および宮内庁式部官を歴任します。昭和中期から後期にかけ、同じように外務省儀典長や大使、宮内庁式部官長であった安倍勲は,友田の書籍を「この方面のバイブル」と評価しています。
友田の著書『エチケットとプロトコールー個人礼儀と公式儀礼ー』は、昭和39(1964)年に初版が出版されます。この年は日本で初めてとなる東京オリンピックの開催年であり、諸外国への対応とその知識の伝授のため、一般に向けた儀礼書の整備も急務であったと思われます。4年後の昭和43(1968)年には、第2版決定版が出版され、タイトルが『プロトコールとエチケット-公式儀礼と個人礼儀-』となり、初版のタイトルであった「エチケット」と「プロトコール」の語順が入れ替わります。オリンピックを経たことからか,プロトコールをエチケットより上位に捉え、公の場での儀礼の汎用を期待した変更だと思われます。その37年後、平成13(2001)年には、『国際儀礼とエチケット』(新装普及版)として、学生社から復刻版が出版されます。「プロトコール」や「公式儀礼」ではなく、この版では漢字の「国際儀礼」という言葉がタイトルに使われ、同じ書物で再販のたびにタイトルの変化が見られます。これら友田の3冊の書籍は、「序」の変更点、内容での注の増加、記載の訂正などがあるものの、目次31項目の順番や項目名は変わっていません。3冊の内容に共通するエチケット(礼儀)とプロトコール(儀礼)という二つの基本観念を友田は次のように捉えています。
3冊すべての巻頭「序」には、「エチケットは個人間の社交儀礼であり、プロトコールは国家間の公式儀礼である」という一文が記されています。エチケットとは、欧米社会の各層で行われている広範囲の礼儀作法であると定義され、外地での豊富な経験から礼儀作法に関する詳細な項目を選び、項目別の的確なアドバイスが綴られています。友田はその内容に関し、自らエチケット教育の参考に資するものであると語っています。
また、プロトコールに関しては、日本の一般国民のみならず有識階級の現状においても、まだまだ無知・無関心であるとし、外国に対する国際儀礼関係の処理上参考となるものを、実務経験によって挙げたとあります。書かれたものは最小限度のプロトコールの知識であり、官民公私を問わず必要なものだとしています。
それら項目は、エチケットとプロトコールが混じり合う形で、31の大項目と290の小項目として列挙されています。大項目は次に挙げる通りです。「1. 姓名」「2. 敬礼」「3. 敬称」「4. 勲章」「5. 席次」「6. 手紙」「7. 手紙の起句」「8. 手紙の結句」「9. 署名」「10. 起句、結句、アドレス、連名書式一覧表」「11. 祝儀と不祝儀」「12. 祝儀」「13. 不祝儀」「14. 国祭日と国旗」「15. 服装」「16. 紹介」「17. 訪問」「18. 名刺」「19. 晩餐」「20. 午餐」「21. 朝食」「22. 皇族臨席の宴会」「23. 乾杯」「24. ビュッフェ」「25. 茶会」「26. 園遊会」「27. カクテル・パーティーと独身者の接待」「28. リセプションとカクテル・パーティー」「29. 各種のイブニング・パーティー」「30. 舞踏会」「31. 公開の場所におけるエチケット」の31項目です。これらは、すべて儀礼上の関係の処理という実践的な内容であり、詳細な例を含む461ページ(1964年初版)の大著となっています。
内容の一例として、大項目「15. 服装」での「帽子と手袋」の項では、「無帽が正しいのは、イブニング・ドレスの場合だけ」で、「婦人は帽子をかぶっている方が無帽の婦人よりはるかに上品である」とあります。また帽子着用の際には「かならず手袋をもつのが正しい」とし、西洋の戒言「市中で手袋なしの婦人はレディではない」を引いています。続いて、装い全体的な色の調和に関する助言もあり、装いに関しては、社交におけるプロトコールと、色の調和などのエチケットが混在したアドバイスが見られます。
筆者の例ですが、1978年の入社後、1979年3月に国際線客室乗務員として乗務した際、初めて着用した制服は、「帽子と手袋」を含めた6代目となる森英恵氏デザインのもの(1977~1987・制服着用の期間)でした。大量輸送時代を見越し、1970年国際線にB747(ジャンボ機)が投入されてから7~8年程経った昭和後期の頃です。そうした時代、海外に出かける、海外から迎えるということを意識した「帽子と手袋」は、服装項目として理にかなったプロトコールであったと言えます。
最後に手袋に関して付け加えます。本学所在の高松市に隣接する東かがわ市は、全国90%を占める手袋生産地として知られています。西洋の戒言のように、レディとして身に付けるおしゃれな手袋だけでなく、大人用、子ども用を問わずデザインや機能性に優れ、ドライブ用、手袋のままスマホが使える、スポーツ用等々、その種類の多さに驚きます。筆者は、社会人1年目からの手袋着用が習慣になったためか、様々な用途に応じた東かがわ市の手袋を日々愛用しています。