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2020年7月6日公開

【観光学事始め:第5回】大衆観光がもつ2つの意味

【観光学事始め:第5回】大衆観光がもつ2つの意味

安村 克己

 

 この連載のスタートから4回にわたり、観光学がとらえた大衆観光の問題について紹介しました。大衆観光観光地の社会に多くの様々な影響、とくに負の効果をもたらし、そうした大衆観光研究対象として、その重大な影響力を探究しはじめたのが観光学です。これまでにみた大衆観光による影響力を大雑把にまとめると、それは地域にも国にもグローバルにも大きな経済的効果をもたらすが、とくに地域の文化自然負の影響を及ぼすというものでした。

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 観光学が着目した大衆観光の負の効果は、他にもいくつかあります。まず、観光新植民地主義(tourist neo-colonialism)とよばれる問題が、1970年代に観光学によって議論されました。この問題は、特に発展途上国の大衆観光において、豊かな観光客貧しい観光地住民にたいして経済的に優位となり、両者の間に社会経済的な主従関係が生じてしまう、というものです。植民地化は強国が“武力”で立場の弱い国を支配する状況ですが、先進国が“武力”に換えて“経済力”で発展途上国を従属させることが、観光新植民地主義だというのです。


 ただし「観光新植民地主義」という言葉は、植民地主義本来の定義に合わないなどの理由で、今ではあまり用いられません。それでも、この「観光新植民地主義」の言葉は、 1970年代初め頃から世界中で南北問題(North-South problem)の現実を憂えた、多くの観光学者の<矛盾への憤り>を映しだすものでした。南北問題とは、特に1960年代から90年代にかけて、北の豊かな国南の貧しい国との経済格差が、際限なく広がった問題です。その問題は、特に発展途上国に悲惨な多くの現実を生みだしました。


 このように、大衆観光が惹き起こす問題は、発展途上国の観光地においてとりわけ深刻なものでした。ただし、1970年代当時の観光の国際的移動の国別比をみると、ある先進国から別の先進国への観光が80%、先進国から発展途上国への観光が20%でした。つまり豊かな観光客送り出し国(tourist sending country)の観光客は、ほとんど豊かな観光客受け入れ国(tourist receiving country)を訪れ、豊かな観光客送り出し国(先進国)から貧しい観光客受け入れ国(発展途上国)への観光客の移動は、国際観光全体の20%に過ぎませんでした。


 そして、先進国の間では観光客送り出し国観光客受け入れ国互換的でした。つまり、ある先進国は、たいてい観光客送り出し国であると同時に、観光客受け入れ国なのです。ところが、豊かな観光客送り出し国と貧しい観光客受け入れ国の関係は、固定的です。発展途上国の観光客先進国の観光地を訪れる機会は、ほとんどないということです。


 ともかく、大衆観光の移動が先進諸国間で大きな割合を占めていたとはいえ、その後増え続ける発展途上国への観光において、大衆観光がもたらす被害はとりわけ甚大でした。そして、地球規模の南北問題の実態が、その縮図であるかのように、大衆観光によって発展途上国の観光地に発現したのです。


 観光にまつわる南北問題は、具体的には観光地の囲い込み(enclave)モデルとして提示されました。観光地の地域でみると、ある企業の所有するリゾート地内に地元住民が自由に出入りできないような状況が出現します。さらに、こうした囲い込み地が世界中に現われ、それらの所有・経営を統括するような国際観光囲い込みモデルも主張されました。このような観光囲い込みモデルの典型的事例として指摘されたのは、たとえば地中海クラブ(クラブメッド)です。


 また、発展途上国売買春観光の問題も1960年代から70年代にかけて、世界中が注目する大問題となりました。とくにアジアの売買春問題が、当時のECTWT(第三世界観光超教派協会連合)[世界教会協議会(WCC)のアジア支部で大衆観光の問題に取り組んだ]によって厳しく糾弾されました。


 この売買春観光問題には、70年代初め頃に増えはじめた日本人海外旅行とも深くかかわっていました。この頃、東アジアや東南アジアを訪れる日本人海外旅行者の9割を男性が占め、その中に訪問先の集団的買春が増大しました。当地では、欧米からも多くの男性観光客が買春目的で訪れましたが、とりわけ日本人男性観光客が当地で批判の的となりました。当地で日本人男性観光客による買春行為への嫌悪感が増幅されたのは、団体旅行でなされたためと、大戦時の日本によるアジア侵略の記憶とが相俟ったためといわれます。


 日本国内でも、もちろん日本人男性観光客の買春観光は、大きな非難を呼び起こしました。当時は、大手旅行会社も東アジアや東南アジアの買春観光を仲介したため、大々的に糺弾されました。その後、日本人観光客の買春観光は表立ってはなくなり、1980年代には女性や家族連れの海外旅行が急増しました。


 しかし、観光学観光とジェンダーの関係を議論すると、そこに買春観光がしばしば取りあげられます。そのとき、当時の日本人男性による買春観光の事例が今でもたびたび取りあげられます。こうした日本人海外旅行の汚点の影響は、アジア諸国の戦禍にたいする日本の反省表明や戦後復興協力などの実績を覆しかねない事態でした。


 このようなわけで、大衆観光は世界中に深刻な様々の問題を次々と惹き起こし、そのため、特に1960年代から70年代にかけて、<観光は迷惑な現実だ>というが考え方が国際的に広く浸透しました――それでも、国際的な観光客数はますます増大したのですが。観光の大衆化は、より多くの人々が思い通りに自由な旅行を楽しめるようになった、人類史上で画期的な出来事でしたが、その出現の当初から無規制・無管理な観光の開発と運営によって、世界中に広く自然破壊文化変容といった負の効果をもたらしました。そして、<観光も観光客も迷惑>という見方が、当時は世界中に定着しました。そうした観光や観光客についての見方は、いまだにあるかもしれません。どのような場面にせよあなたが「観光客」とよばれたとしたら、あなたはその呼び方に何か抵抗感や違和感をもちませんか?


 こうして、「大衆観光」という用語には、現実を通して2つの意味が付与されました。ひとつには、連載の初回に紹介したように、「大衆観光」とは、<大量の観光客が出現した社会現象を意味します。これは、大衆観光の特徴を価値中立的、つまり評価や判断を交えずに表わした定義といえます。またもうひとつの意味は、「大衆観光」は、多くの負の影響を社会にもたらす<迷惑な改善すべき社会現象ということです。これは、「大衆観光」は「悪い」事象という価値観を与えた定義になります。


 観光学者でさえ、「大衆観光」という用語のこの2つの意味を峻別せず、曖昧なままに用いました。すなわち、大衆観光は<大量の観光客が負の影響をもたらす社会現象と、観光学者は捉えたのです。初期のある観光学者は、大勢の観光客の集団行動を、13世紀に東ヨーロッパを襲った蒙古軍になぞらえて“Golden Hordes”とよび、大衆観光の観光地にもたらす猛威を批判的に描きました。


 しかし観光学者は、大衆観光を非難するだけでなく、「悪い」大衆観光に代わる新たな「よい」観光のあり方を、多くの観光関係者(stakeholders in tourism)とともに創りだそうとしました。そうした観光研究は、1970年代末から1980年代初め頃に始まり、今日までつづいています。次回からは、その新たな観光のあり方と観光学についてお話しします。


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