せとうち観光専門職短期大学

観光Web講義


平 侑子

奈良のシカ―野生動物との独特な関係性

今回は、奈良における人間とシカの関係性を、餌やりの観点から紹介します。奈良のシカは、東大寺の大仏とともに奈良を代表する観光対象です。外国人観光客や修学旅行生がシカにせんべいを与える姿は、奈良ではおなじみの光景です。

奈良の鹿愛護会によると、奈良公園には、2019年時点で1388頭のニホンジカが生息しています。シカは、近鉄奈良駅にほど近い奈良市役所や奈良女子大学の敷地内にも入り込み、平然と草を食んでいます。住民はもはや気にも留めない様子ですが、多くのシカと人間がお互い深く干渉せずに同じ空間を分け合っているのは、世界的に見ても珍しい光景でしょう。

奈良のシカは、現在誰の所有物でもなく、誰かが飼育しているというわけではありません。柵で囲われて管理されていることもなければ、頭数管理をされることもありません。しかし、完全に人と交わる機会がないわけはありません。先述したように、観光客による餌やりが行われているほか、交通事故等で怪我をしたシカを療養させ、妊娠したシカを保護して出産させる鹿苑という施設があります。奈良のシカは、人間にほとんど関与しない野生生物ではなく、かといって人間の完全な管理下にある家畜とも異なります。渡辺伸一は、奈良のシカを「〈半野生〉動物の典型例」と位置付けています(渡辺伸一, 2012,「〈半野生〉動物の規定と捕獲をめぐる問題史―なぜ「奈良のシカ」の規定は二つあるのか?―」『奈良教育大学紀要』第61巻1号)。

 このような奈良のシカと人々との独特な関係性は、長い歴史の上で構築されてきました。平安時代以降、奈良ではシカを春日社の「神の使い」として神聖視するようになりました。鎌倉時代になると、シカを殺害した者には重罰を科すようになります。「奈良の人は早起き」という言葉があったり、「『早起きは三文の徳』の由来は奈良にある」などと言われたりしていますが、これは、奈良では朝早く起きて家の前にシカの死体がないかを確認したからだとされています。万が一、軒先にシカの死体が見つかり殺害を疑われたら、家の者が罰せられるといった恐怖心が垣間見られる言葉です。また、「十三鐘の石子詰」という伝説もあります。昔、寺子屋で習字の稽古中の子どもが、稽古を邪魔したシカを誤って殺してしまい、生き埋めの死刑に処せられたという言い伝えです。地元住民にとって奈良のシカは、軽い気持ちで干渉できる相手ではなかったのです。

 そう考えると、シカにせんべいを与えようという発想は少々突飛に思えます。普段草を食べて生きているシカに対して、わざわざトラブルが起きる危険性を孕みながらもせんべいを与える利点が住民にはありません。もし間違ってシカに怪我をさせようものなら重罪になると住民は知っているのですから、シカせんべいは住民間で広まった文化だとは考えにくいのです。シカへの餌やりは「よそ者」、つまり旅人が奈良に多く訪れるようになってから生まれた文化であると予想されます。

 江戸時代の道中日記を見ると、確認できる最も古いもので、明和8(1771)年に、旅人が奈良でシカに菓子を買ったとの記述があります(『三月八日出立いせ参宮道中小つかい覚帳』)。ほかにも、シカに与える果物が売られていて、シカが着物の袂を引っ張ってくる、せんべいを与えるとシカが前後に集まってくる、シカが人馴れしていて食べ物を投げ与えるのが楽しい、などと書き残している旅人もいます。これらの記述からは、江戸時代中期には旅人相手にシカの餌売りという商売が成り立っており、旅人たちがまるで現代と同じようにシカへの餌やりを楽しんでいた様子がうかがえます。

 このように奈良では、旅人による餌やりを人間とシカの接点としつつも、飼育や管理をするほど深くは干渉しない独特の関係性が成り立ってきました。ニホンジカは日本中いろいろなところに生息していますが、突然シカせんべいを与えはじめても、奈良公園のようなある程度平和な構図は成立できないでしょう。野生動物への餌やりはさまざまな問題を孕んでいますが、奈良では何百年もかけて、人とシカとがなんとかバランスの取れた関係性を作り上げてきたといえます。

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